どのようにしてプロ野球選手になった!?変わった経歴のプロ野球選手

  • 2014/12/15
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プロ野球選手になるキャリアとは?

アメリカでは高校や大学まで複数のスポーツをして最終的にMLB入りする選手などは珍しくはないですが、日本では他のスポーツやその他特殊な経歴を持った選手等はいないのでしょうか。しばしば珍しい経歴の選手が話題になっている事はありますが気になったので現役選手の中で調べてみました。

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大嶋匠:北海道日本ハムファイターズ

2011年にドラフト7位で北海道日本ハムファイターズに入団した大嶋選手。大嶋選手は小学校時代に軟式野球をしていましたが中学校から大学までは一貫してソフトボールをしており大学時代は13試合連続本塁打を記録する等数々の記録を残しました。その潜在能力に惹かれて日本ハムが指名をし、話題を呼びました。プロ入りしてからは1年目のキャンプの紅白戦で初打席本塁打を記録する等好調でしたが上から投げ下ろしてくる野球の投手への対応に苦しみ活躍出来ませんでした。2年目も怪我等の影響で1軍昇格は無し。3年目の2014年に1軍に昇格し1打席、楽天の松井裕樹と対戦しましたが三振に終わりこの年の1軍での出場は1打席のみでした。2015年は実績を残さなければいけない年になってくるので何とかメジャーばりのスイングスピードを生かして活躍を期待したいです。

 

田中英祐:千葉ロッテマリーンズ

田中選手は2014年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに指名された京都大学の投手です。京都大学からプロ野球選手が生まれるのは史上初で田中選手自身大学の野球部に入った時プロに入りたいとは思っていなかったそうです。最後の最後まで内定をもらっていた大手総合商社に行くか、プロに入るかで悩んだ末新しく自分で道を切り開きたいとプロ入りを決めました。今までも大学時代に60連敗を止めたり京大史上最多のリーグ通算8勝を挙げたりと道を自ら切り開いてきているのでプロでの活躍にも期待が高まります。

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番外編

落合博満GM:中日ドラゴンズ

現在中日ドラゴンズのGMとして活躍をしている落合博満氏ですがプロ入りへの道は実はとても異色です。高校時代は秋田県立秋田工業高等学校野球部に所属していましたが理不尽なしごきに合い退部、しかし落合氏ほどの実力者がいなかったため試合になると部員からお呼びがかかり4番打者として出場していました。高校時代は実に7回も退部と復帰を繰り返したということです。大学は東洋大学に進学するも体育会系の慣習に納得出来ずに半年で退部、大学も中退。その後プロボウラーを目指すもプロテスト受験の日にスピード違反で捕まり反則金の支払いで受験料が無くなってしまいプロになれませんでした。そんなとき、高校の恩師のつてで東芝府中という社会人チームに所属する事となり5年間の在籍で70本近い本塁打を打ってロッテオリオンズからドラフト3位で指名されました。

 

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あの落合氏も順調なプロへの道のりどころか、いばらの道を経てプロに入りたどり着いたのですね。特殊な経歴をたどった選手ほど多様な経験や多くの壁、逆風に打ち勝ってきたと思うので大嶋選手と田中選手は是非これからの活躍に期待です。

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