補欠になってもあきらめない!『控え選手』から鍛え上げ、プロになった6人の男たち
- 2015/2/11
- プロ野球
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戸田亮(オリックス・バファローズ)
中学、高校と控え選手で、大成高校時代の公式戦出場はわずか5試合。「試合に出られるかも」と高千穂大学硬式野球部に野手として入部するも、嶋田信敏監督代行に投手転向を命じられます。
波乱万丈と見られる野球人生ですが、この投手転向を機に才能が開花。JR東日本時代は最速152km/hを記録し、オリックスにドラフト6位指名を受けます。
渡辺俊介(千葉ロッテマリーンズ)
國學院栃木高校時代は、エースで4番だった小関竜也(元・西武ライオンズ他)に次ぐ2番手投手。その後、國學院大学、新日鐵君津へと進みます。新日鐵君津の應武篤良監督の指導により、リリースが改善され、制球が安定して開花します。
シドニーオリンピック日本代表選出、社会人野球日本選手権大会ベスト8と着々と実績を積み、2000年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズで4位指名。
プロ入り後は世界一低いアンダースローの投手として、2006、2009年とWBC日本代表として連覇に貢献しました。
ロッテ退団後、2013年オフにメジャー挑戦を表明し、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結びました。現在は米独立リーグ・アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズ所属。
黒田博樹(ニューヨーク・ヤンキース)
名門上宮高校では3番手投手。公式戦での登板はほぼなかったにも関わらず、エースの投げ過ぎを防ぐために練習や練習試合では投げ続けました。専修大学に進学後、上宮高校時代の経験を土台に力をつけます。4年春にはエースとして東都一部昇格に貢献します。
プロ入り後はカープのエースとして、103勝。メジャー移籍後、名門ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・ヤンキースの先発陣の中心として、ローテーションを守り続けました。
「ミスター完投」の日本時代の愛称や、厳しいメジャーの日程への対応力は、高校時代の経験が活かされているのだと思います。そして2016年は古巣・広島カープで悲願のリーグ優勝に向けて目が離せません!
上原浩治(ボストン・レッドソックス)
東海大学付属仰星高等学校時代は、3年時も建山義紀(元日本ハムファイターズ、現阪神タイガース)の控えで登板機会はほとんどありませんでした。野球部引退後、教師になる夢を叶えるために大阪体育大学の入試を受けるも結果は不合格、浪人生活に。浪人時代は予備校での勉強、家計を助けるためのアルバイト、そして、トレーニングも行い、「人生であれほど燃えた一年間はない」と血の滲むような努力をしました。
その後、大阪体育大学に入学。日本代表に選出され、当時国際大会151連勝中であったキューバ相手に先発し勝利投手になるなど、大学では目覚ましい活躍を遂げました。
その後巨人のエースとして、そしてメジャーリーグのボストン・レッドソックスの守護神として、世界一に大きく貢献しました。
可能性はすぐには分からない
どの選手も、控えとは想像もつかない可能性、実績を持った選手ばかり。高校時代にチームで一番になるほどの成果を出せず、その悔しさや苦悩、そして挫折の経験をバネに大きな栄光へと向かう大器晩成型のシンデレラプレーヤーにこれからも期待したい。
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