プロ24年目・45歳にしてついに引退
日米通算112勝139セーブを挙げた斎藤隆投手がついに今年、プロ24年目のシーズンでユニホームを脱ぐことになりました。数々の偉業を積み上げてきたレジェンドがまた一人グラウンドを去ります。
数少ない大洋ホエールズを知る現役投手
斎藤隆投手は1991年に東北福祉大学からドラフト1位で大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団しました。その時の同期入団に、現在もベイスターズで活躍している三浦大輔投手がいます。デビュー後は本格派右腕で主に先発として活躍し、96年には奪三振王に輝きました。翌97年は右肘の遊離軟骨の除去手術で戦線を離脱しますが、98年に中継ぎで復帰し、その後再び先発へ。13勝5敗1セーブの好成績でチーム38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献し、セ・リーグのカムバック賞を獲得しました。
ベイスターズは1999年オフに、チームの守護神・佐々木主浩投手がFAでシアトル・マリナーズに移籍して以降、抑え投手の固定がままならずにいました。そこで2001年に就任した森祇晶監督は斎藤投手をストッパーに転向させる決断を行いました。この転向は成功し同年は7勝1敗27セーブ、防御率1.67の好成績を収めます。
抑えの経験を活かし、メジャーでも大活躍
抑えを務めた経験を生かし、2006年に36歳にしてメジャー挑戦を果たします。その時の心境を後にこう語っています。
「いつやめても後悔しないようにアメリカに行った。引き際を考えた時に頂点であるメジャーのマウンドに一度でもいいから立ちたい。たとえそれがかなわなくても、納得できると思った」
つまり9年前、36歳の時から『引退』の二文字を意識しながら、プレーしていたのです。しかしメジャー昇格後は結果を確実に残し、名門ドジャースのクローザーを務めることになります。07年にはリーグ4位の39セーブをあげ、オールスターゲームにも選出されました。同年は37歳にして、日本人メジャー最高球速となる99マイル(159キロ)の速球もマークしています。
その後もレッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、ダイヤモンドバックスと渡りながら、計5度のポストシーズンに出場します。ブルワーズではプレーオフで、6試合7イニングを無失点で抑える活躍など大舞台でも動じない、安定したベテラン投手として信頼を集めました。
当時、多くの関係者やファンからは、斎藤のことを「最も過小評価されている日本人投手」と言われていました。米国での7シーズンでは338試合に出場し、21勝15敗84セーブ、防御率2.34の400奪三振を記録しました。
日本球界復帰は故郷でもある仙台で
13年から東北楽天イーグルスと契約し、移籍初年度には主にゲームの重要な場面で、30試合に登板するなど球団の初優勝に貢献しました。また、翌14年には44歳4カ月でセーブを記録し、元千葉ロッテマリーンズの小宮山悟投手の44歳0カ月の日本プロ野球最年長セーブ記録を更新しました。
さらにその後は44歳4ヶ月で勝利投手となり、右投手最年長勝利記録を記録しました。今年はまだ2試合の登板にとどまっており、若手へ出場機会を与えるためにも自ら身を引く形で15年限りでの引退を決断しました。
引退試合は10月4日を予定しています。
引退後は?
「東北復興のシンボル」として東北全土に勇気と希望を与えた斎藤投手。斎藤投手は徹底したプロ意識と、多くの人から慕われる人間性で知られています。本人も、「この先やりたいことはたくさんある」と語っている通り、今後は指導者としての現場復帰も期待されています。斎藤投手の豊かな経験を後世に伝えていってほしいですね。
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