【まとめてみた】え?!あの選手も?!2015年シーズンで引退する主な選手(パリーグ編)

  • 2015/10/14
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かつての主軸・エース選手がユニフォームを脱ぐ

前回のセ・リーグ編に続きまして今回はパ・リーグ編です!一時代を築いた主軸選手がたちが一斉に引退する2015年シーズン。一体どんな選手たちがユニフォームを脱ぐのでしょうか。一挙に紹介していきたいと思います。

 

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北海道日本ハムファイターズ

木佐貫洋投手

02年に亜細亜大学より自由獲得枠で巨人に入団します。亜細亜大学では現在でも広島で活躍する永川投手と同期で、共に自由獲得枠でのプロ入りとなります。ルーキーイヤーの03年に10勝7敗で新人王に輝きます。07年に12勝を挙げ、リーグ優勝に貢献しました。

10年からオリックスに移籍します。その後13年1月に糸井、八木との大型トレードで赤田、大引とともに日本ハム入り。巨人、オリックス、日本ハムの3球団で通算62勝を挙げました。

 

中島聡選手

秋田・鷹巣農林高から1987年に阪急に入団。現役では、阪急(現オリックス)でプレーした唯一の選手でした。

今季は4月にマスクをかぶり、実働年数を29年に伸ばしましたが、この実働29年は西武や巨人などでプレーした工藤公康現ソフトバンク監督、今季限りで引退する山本昌投手(中日)に並ぶプロ野球記録です。

 

埼玉西武ライオンズ

森本稀哲選手

98年ドラフト4位で日本ハム入団します。

シュアな打撃と広い守備範囲が持ち味の1番打者として日本ハム時代の06年日本一、07年のリーグ連覇に貢献しました。プレー以外でも師匠と慕う新庄選手(元日本ハム)の影響を受け、数々のパフォーマンスでファンの心を鷲掴みにします。

10年オフにFA宣言し横浜(現DeNA)に移籍。13年オフにDeNAを戦力外となり西武に入団。ベンチからもチームを鼓舞する姿勢は共感を集めました。

 

西口文也投手

立正大から94年ドラフト3位で西武に入団します。

96年からはチームの屋台骨を支える活躍で、7年連続2桁勝利、そして5度の開幕投手を務めました。97年には沢村賞、MVP、最多勝などタイトルを総なめにし、98年にも最多勝、最多奪三振に輝きます。

惜しいところでノーヒットノーランや完全試合を何度も逃し、200勝にも僅かに届かず182勝止まりでしたが、記録よりも記憶に残る選手として今後も語り継がれそうです。

 

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オリックスバファローズ

谷佳知選手

社会人野球の三菱自動車岡崎時代には95年の第66回都市対抗野球大会で若獅子賞を受賞し、同年のオリンピック予選でMVPを獲得します。さらに翌96年のアトランタオリンピック野球日本代表に選ばれ銀メダルに輝くなど、文句ない実績を引っ提げて、96年ドラフト2位でオリックスへ入団します。

1年目の97年からいきなり100試合以上に出場します。2年目の98年に132試合に出場し、規定打席に到達しました。01年にはシーズン新記録となる52二塁打、02年には盗塁王に輝き、03年にはシドニー五輪柔道金メダルの田村亮子と結婚します。

06年オフに巨人へ移籍。巨人1年目の07年に、チームトップの打率.318を記録し、リーグ優勝に貢献しました。

しかし、10年以降は出場機会が減少します。14年から古巣のオリックスに復帰しますが、出番に恵まれず、今季限りでユニフォームを脱ぐことを決意しました。通算2000安打まで残り73本。大記録を目前としながらプロ19年目の大ベテランは自らの意思で決断しました。

 

平野恵一選手

東海大から01年に自由獲得枠でオリックスに入団しました。

堅守と巧打の左打者で外野もこなすユーティリティープレーヤーとして活躍しました。06年5月6日のロッテ戦ではファウルフライを追って一塁フェンスに激突するなど怪我を恐れないプレーでスタンドを沸かせました。

08年~12年は阪神に所属して大活躍をします。中でも10年には139試合に出場して、青木宣親に次ぐリーグ2位の打率.350を記録しました。また同年は球団新記録となる59犠打も挙げて二度目の最多犠打を記録。また、いずれも自身初となるベストナインとゴールデングラブ賞を二塁手部門で受賞しました。

11月23日に京セラドームで開催する「Bs Fan-Festa 2015」(ファン感謝イベント)で、平野選手の引退セレモニーを予定しています。

 

東北楽天ゴールデンイーグルス

斎藤隆投手

91年ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団。98年には13勝を挙げてチームの38年ぶり日本一に貢献しました。01年には抑えに転向し、01年が27セーブ、02年は20セーブを挙げるなど、先発に抑えに大車輪の働きをします。

そして、05年オフに35歳という年齢でメジャー挑戦を決意し、06年ドジャースとマイナー契約を結びました。当時クローザーを務めていた投手の故障などで、すぐにメジャー昇格すると、斎藤は150キロを超える直球を武器に72試合に登板し、防御率2.07を記録します。07年以降もセットアッパーとして、メジャーの舞台で活躍を続け、13年に日本球界に戻り、故郷でもある仙台の楽天で3年間プレーしました。

 

小山伸一郎投手

三重・明野高からドラフト1位で1997年に中日に入団します。

2004年オフに中日から新規参入球団の楽天へ移籍。

08年から5年連続で50試合以上に登板するなどリリーフエースとしてブルペンを支えます。13年も中継ぎとしてチームの日本一に貢献しました。球団創設から在籍する唯一の投手として、長年投手陣を支えていました。

プロ19年目の今季は4月に右肩の手術を受け、結局1軍登板はありませんでした。

 

永井怜投手

東京農大二高から東洋大へ進学し、06年に大学生・社会人ドラフト1位で楽天に入団しました。

入団1年目から7勝をマークし、岩隈久志投手(現マリナーズ)、田中将大投手(現ヤンキース)に次ぐ、当時の先発ローテーションを支える活躍をします。その後も09年に自身初のシーズン2桁勝利13勝7敗という好成績を挙げチーム初のCS出場となるシーズン2位の躍進に貢献しました。最近は不調が続き今季の1軍登板はありませんでした。

 

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次なる道への挑戦を応援

すでにコーチに内定している方や、野球解説者としての道を進まれる方、全く違った道を行かれる方、それぞれの道があると思いますが、それらの行く先をファンとして応援していきたいと思います!

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