あの選手も使っていた?!伝説『赤カップ』グラブを使った球史に残る偉大な選手たち
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特別なマーク
「赤カップマークのついたグラブは限られた人しか使えず、このマークを見れば大切に使わなければと思う。」
「史上最高のサブマリン投手」と称される山田久志氏がこのように語るMIZUNOのグラブ。1970-80年代にしか使えなかったグラブがあったのことをご存知でしょうか。
当時から大手野球メーカーであったMIZUNO。そのMIZUNOのグラブは、野球人の憧れの的。中でも『赤カップ』と呼ばれるロゴの入った硬式用のグラブは、プロ選手でも、スポンサー契約を結んだ選手のみ使用することのできる『伝説のグラブ』とも言えるものでした。
そんな 伝説の赤カップグラブを使用していた選手を調べてみると、プロ野球史に残る選手たちばかりでした。今回はそんな選手の中でも、特に輝かしい活躍を見せた5選手を紹介します!
史上最高のサブマリン:山田久志(阪急)
- 12年連続開幕投手、17年連続2ケタ勝利とエースとして阪急ブレーブスの黄金期を支えた。
- 1976年から78年まで日本プロ野球記録となる3年連続でのMVPを受賞した。
- 歴代7位、アンダースロー投手としては日本プロ野球最多となる通算284勝を挙げた。
世界の盗塁王:福本 豊(阪急)
- 当時世界記録となる通算1065盗塁、シーズン最多106盗塁をマーク。通算盗塁数・シーズン盗塁数は未だ日本プロ野球記録である。
- 走塁だけでなく打撃・守備にも優れた選手であり、通算2543安打と歴代最多の115三塁打を放っている。
- 歴代最多の12年連続ダイヤモンドグラブ賞。1974年のオールスターゲームでは、ホームラン性の打球を、フェンスの上までよじ登りキャッチしてアウトにするというファインプレーを披露。このプレーを見た長嶋茂雄監督は「あれは人間業ではありません」と絶賛した。
V9時代のジャイアンツの絶対的エース:堀内 恒夫(巨人)
- ルーキーにしていきなり開幕13連勝をマークし、2年目からジャイアンツのエースナンバー18番を背負う。
- デビューした1966年から73年までに129勝を挙げ、ジャイアンツV9時代を支えた。
- 1967年10月10日の対広島戦では、ノーヒットノーランと3打席連続ホームランを同時に達成する。
- 1972年に創設された守備の名手に贈られるダイヤモンドグラブ賞を7年連続受賞。世界の盗塁王・福本豊にも「あんな早いクイック初めて見た」と言わしめるほどであった。
伝説の豪球クローザー:山口 高志(阪急)
- 初速と終速の差が小さいストレートを武器に、「日本プロ野球史上最も速い球を投げた投手」と言われてる。山田久志は「終速150km/hだ」ともコメントしている。
- 投球の大半がストレートというスタイルのクローザーとして、阪急ブレーブスの黄金期を支えた。
- 引退後は指導者として活躍。藤川球児に右ヒザを伸ばすフォーム改造をアドバイスした結果、「火の玉ストレート」の投げ手として大ブレイクした。
元祖・鉄人:衣笠 祥雄(広島)
- 当時の世界記録であったルー・ゲーリッグが持つ連続試合出場記録を塗り替える2215試合連続出場を達成。現在も日本プロ野球記録となっている。
- 連続試合出場記録の功績を称えられ、王貞治氏に次いで2人目となる国民栄誉賞を受賞した。
- 通算2543安打(歴代5位)、504本塁打(歴代7位)、1448打点(歴代10位)、1372得点(歴代5位)を記録し、1976年に盗塁王、ゴールデングラブ賞も3度受賞するなど、長きにわたって安定した成績を残した屈指のオールラウンド・プレーヤーであった。
認められた選手のみの特別なマーク
どの選手も偉大な成績・そして球界にインパクトを与えた伝説の選手たちばかり。当時の憧れの的であった「赤カップグラブ」を使用したのも頷けます。
また、紹介した選手の他にも、
- 星野 仙一(中日)
- 原 辰徳(巨人)
- 秋山 幸二(西武)
- 落合 博満(ロッテ)
など、監督としても素晴らしい実績を積み上げた選手もこの「赤カップグラブ」を使用していました。
伝説の赤カップマークが限定で復刻!
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