史上最高の投手?戦後唯一のシーズン防御率0点台を達成した「ミスタータイガース」村山実とは

  • 2017/9/27
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「プロ野球の歴史の中で最高の投手は誰?」

この議論の際、前人未到の通算400勝を記録した金田正一投手(元国鉄、他)を思い浮かべる方は多いと思います。しかし、知名度こそ金田投手に一歩譲るものの、数々の大記録を打ち立てた投手がいます。

それが「2代目ミスタータイガース」こと村山実投手(元阪神)なのです。今回はそんな村山投手が打ち立てた数々の驚異的な記録と投手人生について、ご紹介しましょう。

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史上唯一の防御率0点台!

1970年には戦後唯一のシーズン防御率0点台となる、0.98を記録しました。しかも、選手兼任監督としての達成ですから驚きです。

  • 1970年 25試合 14勝3敗 勝率.824 防御率0.98

 

最も出塁させない投手!通算WHIPは歴代1位

「投球回あたり与四球・被安打数合計」指標であるWHIPは通算で1位の0.954。

1.00未満であれば球界を代表するエースであると言われる中、驚異的な数値と言えます。なお、金田投手は通算1.072となっており、通算12位です。

また、現代の投手と比較すると、入団以来巨人の主力投手として活躍している菅野智之投手が1.07(4年間)、日本ハムの大谷翔平投手も1.07ですから、いかに凄い投手であるかがお分かりいただけると思います。

これには決め球のフォークの制球力が関係していると言えます。

オーバースロー、スリークォーター、サイドスローで投げ分けられるフォークを武器としていましたが、通常フォークを多用する投手はどうしても多くなりがちな暴投ですが、なんと3000イニング以上投げてわずか16個しかなく、シーズンで見ても1961年に4個記録した以外、全て2個以下でした(1959年には295回1/3、1965年には307回2/3を投げて暴投0)。

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長嶋茂雄を倒すことに魂を注いだ熱血漢

全身に力を込めて投げるのが特徴の村山投手。一般論として、投手は「力まずにリラックスして投げるのが良い」とされています。闘志むき出しで走る同投手は、同じく闘志むき出しでプレーする陸上選手になぞらえて、「ザトペック投法」と呼ばれていました。

巨人軍の伝説的打者、長嶋茂雄の打倒に強烈なライバル心を抱き続けた村山投手。
1959年の6月に天皇陛下の御前で行われた天覧試合では、長嶋選手にレフトポール際にサヨナラホームランを打たれますが、「あれはファールだ」と引退後も終生に渡って言い続けたほどのこだわりを見せていました。

また、指が短かった村山投手は、フォークボールを挟みやすくするために、自ら人差し指と中指の間を切って広げたそうです。野球のために全てを捧げるストイックさを感じさせるエピソードですね。

 

監督としても活躍。今も輝く投手記録の数々

長年にわたって阪神の大エースとして君臨した村山投手。1970年には選手兼任監督に就任し、投手としては14勝3敗で戦後唯一の0点台となる防御率0.98を記録。監督としても勝率.611で首位・巨人と2ゲーム差の2位に導きました。

引退後には背番号11が永久欠番となり、名実ともにレジェンドとなりましたが、1998年8月22日に直腸ガンのため満61歳で死去。多くの人が涙を流しました。以下は現役中に残した偉大な記録の数々です。

 

  • 通算222勝 ※大卒投手として2位の記録
  • シーズン防御率0.98 ※2リーグ制以降の日本記録
  • 通算防御率2.09 ※セ・リーグ記録
  • 通算WHIP0.95 ※日本記録
  • 沢村賞受賞3回 ※歴代最多タイ記録

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斎藤孝博ライター

投稿者プロフィール

プロ野球記事を中心に執筆しています。
バックパッカーとして世界を放浪していた経験があり、キューバやドミニカ共和国の子供に野球を教えていました。


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