青木・内川・山田を育てたヤクルト名打撃コーチ 杉村繁 そのアドバイスとは?
どんな指導法で選手を打撃開眼させたのか?
ヤクルトの山田哲人選手といえば、2014年一気にブレイク、2015年はトリプルスリー+本塁打王という離れ業をやってのけた日本球界随一のスラッガー。そんな山田選手をプロに入ってからずっと指導しているのが、打撃コーチの杉村繁コーチです。度々話題に上がっている杉村コーチと山田選手の師弟関係。今回は、名打撃コーチと言われる杉村コーチとはどんな人なのかをご紹介します!
選手時代「東の原辰徳、西の杉村繁」
杉村コーチは高知高校を経て1975年のドラフト1位でヤクルトスワローズに指名されました。高校時代は「東の原辰徳、西の杉村繁」と言われるほどの逸材でしたが、プロ入り後は伸び悩みや怪我にも悩まされ、1987年に現役を引退します。
2000年からヤクルトの打撃コーチ補佐を務め、その後打撃・走塁コーチに昇格。2007年までコーチを務め2008年から5年間横浜ベイスターズのコーチを務め2013年からヤクルトのコーチとして復帰しました。
指導した名選手は球界随一の打者に成長
青木宣親
日本が世界に誇るヒットメーカー。ヤクルト時代には調子を落とすと、バットに当てるだけになってしまいがちでしたが、杉村コーチが
とにかく強く振れ。
と口を酸っぱくして言ったそうです。青木選手の足ならば強く振り抜いて三遊間に飛べば、内野安打を取れると考えていたとのことです。
この助言を取り入れて以降、ますます打撃は進化し、プロ野球の歴史で初めて2度のシーズン200安打を達成しました。
内川聖一
日本人右打者としての最高打率の記録保持者。2007年までの7年間、それなりの数字は残していましたが、なかなか”3割”の殻を破れずにいました。そんな中、2008年に杉村コーチに出会い、言われたことは
とにかく強く振れ。詰まってもいいから強く振れ。
といい、さらに杉村コーチに出会うまでは、ポイントを前にしてとらえる選手でしたが、杉村コーチから「他のチームはお前を泳がせようとしている。」と言われ、ぎりぎりまでボールを見てひきつけて打つようにしました。それから試合前の全体練習の前に杉村コーチと20分間のティーバッティング、30分間のフリーバッティング。計50分の打撃練習を全体練習の前にこなし、引きつけて打つ技術を身に着けました。
内川選手の芸術的な右打ちのルーツはこの指導にあるそうです。そしてその技術を身に着けた結果、前年の打率.279よりも約1割高い打率378という高打率を残しました。
山田哲人
今となっては野球界では知らない人はいないスーパースター選手。2013年に二軍打撃コーチとしてヤクルトに帰ってきた杉村コーチに出会い、少しずつ芽が出始めます。伸び悩んでいた3年目の山田選手に
お前には内川と変わらないヘッドスピードがある。内川と同じ練習をすれば必ず3割打てるようになる。
と話したそうです。高校時代からスラッガーだった山田選手は長打へのこだわりはありましたが、「ヒットを打つのがプロで生きる道」と割り切ります。2013年に94試合出場で打率.283を記録し、レギュラーへの足がかりをつかみました。
翌年2014年から杉村コーチが一軍打撃コーチに就任すると、本格的な二人三脚が始まります。その2014年シーズンからは有名な、杉村コーチ考案の10種類以上のティー打撃を試合前に取り入れ、シーズンが終わるまで欠かさずやり通しました。2015年もそのティーを継続し、トリプルスリーを達成。2016年もハイペースに数字を伸ばしています。
受け継がれていくその打撃論
杉村コーチの信念は「選手を信じること」です。頭ごなしにあれこれ言うのではなくて、選手の意見を聞いた上で納得するまで説明し、身体に染み込ませる。青木選手や内川選手は今でも
今の自分があるのは杉さんのおかげ。
と言っています。その打撃論は杉村コーチの教えた選手だけでなく、その教え子たちからさらに広がっていっています。その代表例が2016年大ブレイクの広島の鈴木誠也選手。何かを変えたいと思い、内川選手に弟子入り。目からウロコの打撃論を聞き、才能が開花していきました。
この例のように、名コーチの打撃論が教え子達だけで止まらず、そこからさらに広がっていくのは日本球界にとって素晴らしいこと。次に「杉村理論」を受け才能を開花させるのは誰になるのか。これからも杉村コーチの手腕から目が離せません!
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