修士号を取得してからコーチへ!近年日本野球界で多様化するコーチとしてのキャリア
もう引退→即コーチ・引退→解説→コーチ だけじゃない
北海道日本ハムファイターズ投手コーチを務め、日本一へチームを導いた吉井理人コーチ。
その吉井コーチを筆頭に近年監督やコーチで様々なキャリアが出てきています。このキャリアの多様化は日本に何をもたらすのでしょうか。
野村監督との出会いで先発としても成功掴んだ現役時代
吉井投手コーチは1983年のドラフト2位で当時の近鉄バファローズに入団。2年目からリリーフで起用されるようになり、1988年からは抑えとして 起用されるようになり毎年安定した数字を残すようになります。
1991年に調子を崩すこともあり、1993年には先発にも転向しましたが、2年間で12勝。失敗ではなくとも「成功」とは言えない数字でした。
しかし、1995年にトレードでヤクルトへ移籍すると「野村再生工場」と言われた野村監督の下、先発として開花、ヤクルト在籍3年間は3年連続2ケタ勝利。
1998年からMLBに挑戦し2年目には二桁勝利も成し遂げました。
大胆かつ的確なコーチングを生んだユニークなキャリア
増井投手の先発転向、9月のマーティン投手の離脱に伴う、「日替わり」にも近い守護神の変更。2016年のファイターズの投手起用は、自らの現役時代に先発、抑え、中継ぎをこなしてきたからこそ発想・実現できたいと言えるでしょう。
引退後の指導者としてのキャリアもまたユニークです。
- 2007年の引退後は、日本ハムファイターズからオファーを受けて投手コーチ就任。
- 2012年まで続け、翌2年間は野球解説者として活躍します。
- 2014年からは解説者と並行して筑波大学大学院に入学し、野球コーチング論を研究します。
- 2015年には福岡ソフトバンクの投手コーチとして現場復帰。1年目から優勝に貢献し、シーズン終了後には修士論文を執筆し、修士号も取得しています。
- 2016年には日本ハムファイターズの投手コーチに復帰し、投手陣の立て直しに一役買い、リーグ屈指の投手陣を支え、絶対王者福岡ソフトバンクの連覇阻止に貢献しました。
多様化する指導者としてのキャリア
最近では、ただ選手→コーチというルートだけでなく、吉井コーチのようなキャリアも少しずつ出てきています。
- 桑田真澄→現役引退後、早稲田大学の大学院に入学。東京大学硬式野球部の特別コーチ。
- 栗山監督→引退後、解説者、評論家、ジャーナリスト、ライター、報道キャスターを経て2012年から現場復帰
- 工藤公康→栗山監督の後任として報道ステーションのキャスターなど。
キャリアの多様化が今に与えるもの
現役を引退し、一度「外」から野球を見ることで現場にいた時には気付けなかったことに気付けたり、自分に足りないものを学び直すこともできます。
まだコーチにはなっていませんが、斎藤隆氏は今年からサンディエゴ・パドレスにインターンとして編成業務に携わっており、球団編成に携わることで将来的に現場復帰した際のチーム編成に役立つことがあるかもしれません。
今後、大学院で学び直し、自らの経験を体系化し、その後の活動へと生かすということが増えていくでしょう。キャリアの多様化によって、日本のコーチング技術の向上につながり、日本野球の発展へと繋がっていくのか。実際にプレーを行う選手だけでなくコーチにも目を向けてみてはいかがでしょうか。
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