プロへの登竜門!社会人野球『都市対抗』出身の5選手を紹介!
- 2016/3/31
- プロ野球
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社会人野球で着々と力をつけ開花した5選手
高校・大学は無名だった選手が、社会人の門を叩き、ドラフト候補へ。そんなサクセスストーリーのきっかけとなるのが「都市対抗野球」。今や、球界を代表する選手となった5人の、ブレイクのきっかけを振り返ります。
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攝津正(秋田経法大附属 – JR東日本 – 福岡ソフトバンクホークス)
- 高校時代は秋田経済法科大付属(現明桜)で3年時の2000年の選抜大会に出場し好投するも、初戦で敗退。高校卒業後JR東日本に入社。
- 転機は2004年。都市対抗野球初登板の日本通運戦で8回ツーアウトまで投げ2失点と好投し東京ドーム初勝利を挙げている。
- 特筆すべきは、2008年。東北大会優勝を決めた大会では2試合完封を含む3完投。東北第2代表を決める試合では延長16回を一人で投げ抜き、再試合となった翌日もリリーフで登板し投げ切ったという、アマチュア時代から鉄腕の片鱗をのぞかせていた。
- 高校時代はオーソドックスなオーバースロー。社会人時代に「無駄な動きを極力排除した結果」、現在のフォームを身につけました。
- プロ入り直後から中継ぎで2年連続で70試合以上の登板、3年目からは先発に転向し、4年目には沢村賞を受賞しました。
牧田和久(静清工業高等学校 – 平成国際大学 – 日本通運 – 玉西武ライオンズ)
- 高校時代は甲子園には縁がありませんでした。静清高校に進学し転機となったのは、高校1年の秋。監督のアドバイスによりアンダースローへの転向を決意します。このように、「サブマリン・牧田和久」は誕生しました。
- 高校卒業後、埼玉県の平成国際大学へと入学。入学のきっかけは、大島監督の強い誘いでした。大学時代は、現在のスタイルとは異なりストレートで抑えるパワーピッチャー。2年春には5勝を挙げるも、その後はスランプに陥ります。しかし、4年時は「最上級生としての自覚」も芽生え、春6勝、秋4勝と防御率も1点台とエースの働きを見せました。
- 大学卒業後は、社会人野球の名門日本通運へ入社。当時の監督であった神長氏(現法政大監督)はこのように評しました。
「フォームは柔投派でもボールの質は本格派。ゾーン左右、上下、奥行で勝負出来る。」 - ルーキーイヤーではバント処理時に転倒し右膝前十字靭帯断裂の重症を負い、8ヶ月ものリハビリ期間を過ごす事となります。しかし、リハビリの末に、復帰後の試合では7回参考ながらノーヒットノーランを達成。2010年の都市対抗本大会での日本新薬戦では4安打完封を納めました。
梵英心(三次高 – 駒沢大学 – 日産自動車 – 広島カープ)
- 地元、三次高校卒業後は東都大学の強豪駒沢大学へと進学。2年の秋からは一塁でレギュラーを掴み、3年時から三塁で副主将として秋のリーグ戦の優勝に貢献します。大学卒業後は日産自動車へ入社しました。
- 1番遊撃手として2004年の都市対抗野球に出場し、5試合で21打数11安打で打率.524 2本塁打で首位打者を獲得し、チームを準優勝へと導きました。173センチと小柄ながら、50m5秒7の俊足に加え、遠投110mに加え正確なスローイングと走攻守3拍子揃った選手として、都市対抗野球で一躍その名を轟かせました。
石川歩(滑川高校 – 中部大学 – 東京ガス – 千葉ロッテ)
- 滑川高校時代、高校3年夏エースとして挑むも、3回戦で敗退。
- 全国デビューしたのは、進学した中部大学2年時の大学選手権。4年時にはエースとし てチームを牽引し春は最優秀防御率を獲得し、社会人野球の強豪、東京ガスへ進みます。
- 2011年の第82回都市対抗野球に出場するも、3回4失点でノックアウト。その悔しさを胸に、3年目のシーズンはウエイトトレーニングやランニングにより下半身強化に励みます。
- 努力の成果も実り、第84回都市対抗野球でチームを8強に導き、優秀選手に選ばれます。
- 2013年千葉ロッテに入団し、10勝8敗の成績で新人王に輝きました。
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佐藤達也(大宮武蔵野高校 – 北海道東海大学 – Honda – オリックス)
- 大宮武蔵野高校の2、3年時の夏は共に初戦コールド負けで敗退。
- セレクションを受け北海道大学の監督、高橋葉一監督から「君は将来、プロに行ける素材。北海道で実績を積みプロを目指そう」と声をかけられ、進学を決意します。
- 大学時代には135キロだった球速も140キロを計測するようになり、4年間でリーグ通算18勝、3年時にはリーグ優勝も経験している。
- その後、Hondaでは1年目から公式戦に出場。2年目からリリーフに転向すると「先発の時は100%の力を出せなかった。」これが佐藤の大きな転機となり、2011年都市対抗野球出場に大きく貢献。「ホンダで定年まで働くのと同じだけ稼げる自信はあるのか?」と監督である長谷川監督からユーモアとエールを込められプロの道へ送り出されます。
- 2年目にシーズン67試合登板を果たし、42ホールドで最優秀中継ぎ賞を獲得。球界きっての豪腕セットアッパーに成長します。
プロ入り後も結果を残す
社会人野球では、年間通じて多くの公式戦が組まれており、負けられない戦いを続ける中で、選手たちは着々と力をつけていきます。そのような環境で育った選手たちが、プロの世界に入っても、結果を残し続けます。
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甲子園や神宮でスターダムに上がった選手たちだけでなく、社会人野球で活躍する選手たちにも注目していきたいですね!
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