18年ぶりの優勝へ導いた「JFK」ジェフ・ウィリアムスのタイガース愛
- 2016/7/27
- プロ野球
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2度の優勝へ導いた左の助っ人リリーバー
2003年から7年間「JFK」の一角として活躍したジェフ・ウィリアムス投手。左のサイドスローからMAX156キロのストレートと鋭く曲がるスライダーを武器にタイガースで一時代を築いた男のタイガース愛に迫ります。
相手に威圧感を与えたJFK時代
2002年オフにタイガースに入団。シーズンの途中からクローザーを任せられる様になると、シーズン52試合に登板、防御率1.54 25セーブを挙げリーグ優勝に大きく貢献します。2005年はセットアッパー専任になり、藤川球児投手、久保田智之投手と共に3人の頭文字から「JFK」と一角として球界を席巻し、2003年に継いでチームを優勝に導きました。
5回までに勝っておかないと・・
(当時ドラゴンズに在籍していた福留孝介選手)
あのピッチャーが出てくるのは嫌だ。
(日本シリーズで対戦したホークスの監督だった王貞治氏)
と言わしめるほど、相手チームには脅威となっていました。
また、2005年には、JFKが揃って投げた49試合は39勝6敗4分を記録して勝率は.798という驚異的な数字を記録しました。
金本引退時に送った手紙
私はこれから先、何年もあなたという選手の成功、私の中のヒーローとしての話を色々な場面で嬉しく想い思います。私達の栄光の日々を語り合える日を心から楽しみにしています。
金本知憲選手が引退表明した日に送った手紙にはこのように綴られ、情に熱いウィリアムス氏の人柄と阪神タイガース愛が伝わります。
また、2009年にタイガースを退団した際も、
再びタイガースのユニフォームを着たい。
と懸命に現役復帰・タイガース復帰を目指し、リハビリを続けました。
スカウトとしての第二の野球人生へ
2011年2月に引退を表明し、同年3月に阪神タイガースの駐在スカウトに就任しました。自身のように、タイガースを勝利へと導く助っ人の発掘に尽力しています。優勝を2度味わったタイガース愛溢れる最強リリーバーの今後の活躍に注目していきましょう!
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