もしあの時あの選手がメジャー挑戦していたら?メジャー行きの話があった選手たちで”もしも”を考えてみた
- 2016/11/27
- プロ野球
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野村謙二郎
1997年、オフにFA権を取得。メジャーリーグ、ダイヤモンドバックスとデビルレイズからオファーがありましたが、広島で生き抜くことを決意します。1995年には打率.315 32本塁打 30盗塁でトリプルスリーを達成した野村選手。もしショートとして彼が成功していたら、現在の日本人野手の状況もかなり変わっていたかもしれません。
現在は、ロイヤルズからオファーをもらい、ロイヤルズのフロント入りしたようです。
長嶋茂雄
当時のドジャースは三塁手が怪我をしたため、長嶋選手の獲得に乗り出します。実際に巨人軍とドジャースは友好関係にあり、当時のドジャースの会長は日本に足を運んでいました。しかし、巨人のフロントが長嶋選手を説得し、巨人に留まりました。
日本球界で大スターとして活躍していた長嶋選手。もしこの時メジャーに挑戦していたら、日本でも長嶋選手の活躍をみたいファンへ向けて、メジャーリーグ中継が盛んに行われ、長嶋ファンはそのままメジャーリーグファンへと流れていった可能性もあるでしょう。また、日米野球で69試合 59安打 6本塁打 打率.295という打撃や、野性的な反応を見せた守備でメジャーで活躍できたのではないかという議論は今でも野球ファンの中では活発に行われています。
もしあの選手がいっていたら野球史が変わっているかもしれない!?
過去の情報を紐解いてみると、実はメジャー行きの可能性があった選手、日米野球で活躍し、メジャーでも活躍の可能性を見せていた選手が、「あの選手がメジャー行っていたら?」とたらればを想像してみると、「今の日本球界の歴史はこのように変わっていたかもしれない」、逆に「日本に残っていたからこそ今の日本球界がある」と考えを巡らせることができます。例えば、ミスターがドジャース入りしていたら、その後の巨人の監督人事が変わり、松井秀喜選手との縁は生まれなかったかもしれない・・など。
実は、現在の選手たちの選択も、後の日本球界を大きく動かしているのかもしれません。ぜひ皆さんも、日本球界の歴史の流れで、選手の選択を考えてみてはいかがでしょうか。
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