まさにレジェンド!全ポジション出場&全打順本塁打!?ユーティリティープレーヤー:五十嵐章人って?
- 2015/1/13
- プロ野球
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ユーティリティープレーヤー:一人でいくつものポジションをこなす選手
あなたは『ユーティリティープレーヤー』と聞いて、誰を思い浮かべますか?
ロッテ、オリックス、近鉄でプレーした五十嵐章人選手も、『ユーティリティープレーヤー』と呼ばれる選手でした。
全ポジション出場、全打順本塁打を達成したプロ野球史に残る万能選手の五十嵐選手は、一体どんな選手だったのでしょうか?
高校時代は3番エース
五十嵐選手は群馬県の前橋商業高校時代は3番ピッチャー。チームの中心選手として甲子園に出場しています。その後、日本石油野球部に入部し、外野手に転向し、バッターに専念します。1990年のドラフトで3位でロッテオリオンズに外野手として入団。プロ入り5、ショートとセカンドに転向しました。
「全ポジション出場」を達成する上で、一番苦労するのは投手と捕手でしょう。ではその2つのポジションはどういった経緯で出場するに至ったのでしょうか?
チームの緊急事態を救うため、中学以来のマスクをかぶる
捕手として出場したのは1995年5月7日のオリックス戦で、一軍登録には3人捕手登録の選手がいたのですが、病気離脱、代打交代、退場処分となり、代わりの捕手がいないという緊急事態に。そこで、五十嵐選手が捕手として出場することになりました。1球も落球せず、当時のロッテのボビー・バレンタイン監督に「いい捕手だよ」と賛辞を贈られました。しかし、実は五十嵐選手の捕手経験は、中学時代に少し練習したことがある程度だったそうです。
仰木監督の粋な計らいでピッチャーとして出場し、『全ポジション』達成
1998年にトレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。2000年6月3日の大阪近鉄バファローズ戦の8回裏に登板し、プロ野球史上2人目となる「全ポジション出場」を達成しました。この試合の登板は、捕手での出場の時のように緊急事態での出場というわけではなく、当時の仰木彬監督が五十嵐選手に「全ポジション出場」を達成させるために登板させたものだったそうです。高校時代以来の登板だったものの、ヒット1本浴びたものの1回を無失点に抑えました。実はこの試合、オリックス投手陣は16失点と大炎上。仰木監督は五十嵐投手の登板後、投手陣に対し、「投手じゃなくても抑えられるんだ!」と一喝。五十嵐選手は「投手に申し訳なかった」と語ったそうです。
省エネで『全打順本塁打』達成
「全打順本塁打」という記録を達成しているのは井口資仁選手や田中幸雄選手らわずか9人。このうち7人が100本塁打以上で達成しているのに対し、五十嵐選手はわずか通算26本塁打で達成しました。これは全打順本塁打を記録した選手で最少でした。2001年6月22日の西武ライオンズ戦での4番での出場が最初で最後でしたが、この試合で見事西口文也投手からライトへ本塁打を放ちます。五十嵐選手は、日によって変わるポジション、打順を物ともせず、しっかりと成績を残す勝負強さを兼ね備えていました。
豊富な経験を、プロを目指すプレーヤーたちへ
希代のユーティリティープレーヤーである五十嵐選手は現役引退後、その豊富な経験を生かし、指導者の道を歩みます。
福岡ソフトバンクホークスの2軍外野守備走塁コーチ、独立リーグBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスの監督として活躍。そして現在は、独立リーグBCリーグの新しい創設された武蔵ヒートベアーズの取締役兼ゼネラルマネージャーを務めています。
ユーティリティープレーヤーとしてチームに貢献し続けた五十嵐選手は、どんな選手たちを発掘し、育成し、チーム作りをしていくのか。今後の活躍にも期待したいですね!
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