球児たちは「坊主にする理由」をテーマに議論し『考える選手』を目指せ
あなたは「野球部の坊主」に対し、どのような意見を持っていますか?
「野球界をよりよくしていくために」という議論の際に、必ず出てくる「野球部は坊主であるべきか?」という問い。
- 「坊主にするくらいの覚悟がないやつはダメだ」
- 「坊主と覚悟、ましてや野球の上手さなど関係ない」
- 「坊主が野球人口を減らしている」
- 「安全のために坊主はやめたほうがいい」
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坊主自体が問題なのではない
「野球部は坊主だ」「これまでずっと坊主にしてきたから」
「野球部は坊主」の問題の根源は、指導者も選手も思考停止してしまい、そこに意図がないこと。坊主の決まりのほとんどは、惰性によるものではないでしょうか。
坊主自体が悪というわけではありません。そこに指導者と選手双方に明確な意図と同意があれば、「野球部は坊主」という選択だって、現代でも正しくなり得ます。
きちんとした意図がないが故に、「野球は坊主がダメなんじゃないの?」とふと突っ込まれた時に、何も答えられず、「なんで野球部は坊主なの?」と問われて、ちゃんと考えてこなかったことに気づく。バレる。
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提案:「坊主にする理由」を議論し、考える選手に育ってもらう
私から一つ提案があります。
入部前に、選手たちに議論させてみるなんてどうでしょう。
「野球部は坊主にするべきか?」「野球部はなぜ坊主にするのか?」と。
「野球部は坊主」という(現時点では)超強力な固定概念をテーマに、疑う・考える・議論することができる野球部員生。選手に考える力をつけてもらうチャンスと捉えてみましょう。
自分の行動一つ一つに、明確な意図を持てる選手は、上達のスピードも早まります。「この練習はどんな意味があるのか?」を考えられる選手を増やすため、その教材の一つとして、坊主問題を取り上げてみてはどうでしょうか。
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