「キモティ~! 」 波瀾万丈の愛の波動砲 G.G.佐藤

「キモティ~! 」

お立ち台での雄叫び姿に思い当たる人は多いのではないだろうか。『愛の波動砲』G.G.佐藤。彼は野球を始めたころから「プロ野球選手になりたい」と思い、満員の球場でプレーする自分の姿を思い浮かべていた。

「仲間たちは『なに妄想してんだ、コイツ』と思っていたかもしれない。でも「妄想」と笑われたっていい。あきらめる理由なんて、どこにもない。」

彼は常に妄想をエネルギー源にして奮いたたせ、そしてついに夢をかなえた。

 

紆余曲折

高校時代は甲子園に縁がなく、大学でも補欠選手だった。だがアメリカでマイナーリーグを経由して西武ライオンズに入団し、プロ野球選手になるという夢を叶える。

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オールスタートップ当選、2008 年北京五輪代表にも選ばれ、名実ともに日本を代表する選手になった。ところが、その大舞台で日本国民を失望させるまさかの出来事。準決勝の韓国戦で2つのエラー。3位決定戦でも落球して「メダルを逃したA級戦犯」として大バッシングを受ける。さらにその後、過呼吸症候群や戦力外通告など、様々な悲劇が襲いかかったが、それでも物語は終わらなかった。海を渡りイタリアへ。そして帰国後、千葉ロッテにテスト入団し日本球界復帰。

 

夢をつかみとるための黄金律

彼の夢を掴むための提言は以下だ

  • 口も筋肉。ネガティブ思考は口に出すな。
  • 意見を聞こう。他人の声は絵の具、自分はパレット。
  • うつむくな。上には星がある。下にはトカゲしかいない。
  • 不安とは戦わない。絶対に勝てないから。

明るい笑顔の裏側には幾多の試練を乗り越えてきた自信とタフさが隠されているに違いない。非常に魅力ある選手です。

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G.G.佐藤

1978年8月9日、千葉県市川市生まれ。身長184cm、体重98kg。外野手。

港東ムース→桐蔭学園高等学校→法政大学→フィラデルフィア・フィリーズ1A→西武ライオンズ(現・埼玉西武)→フォルティチュード・ボローニャ1953(イタリア)→ロキテクノ(クラブチーム)→千葉ロッテマリーンズ

高校は野球の名門に進むが甲子園に縁がなく、大学でも4年間を補欠で過ごす。単身渡米しマイナーリーグと契約も3年間で解雇。帰国後、西武ライオンズにドラフト7位で指名される。入団後は、試合後のヒーローインタビューで「キモティ~! 」と叫び人気者に。2008年オールスターファン投票では、セ・パ通じての最高得票数を獲得して選出される。2011年、埼玉西武から戦力外通告を受け、翌年イタリアでプレー。その後、千葉ロッテにテスト入団。波瀾万丈の野球人生を送っている。

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