甲子園の土を最初に持ち帰ったのは誰?アルプススタンドの由来は?『甲子園11の雑学』

  • 2016/1/28
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100年近く存在する甲子園での様々な出来事

2014年に会場90周年を迎えた甲子園球場では、毎年様々なドラマが生まれています。その積み重ねられた歴史のなかで、意外と知られていない由来やエピソードなどの雑学を紹介します。

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背番号の導入は1931年のセンバツ。しかし、1年で 一旦 廃止?!

背番号が採用されたこの大会の優勝記念撮影では、背番号を記念に撮るため前と後ろから撮影されました。しかし、観客からも選手からも好評だった背番号はなぜか翌年に廃止になってしまいます。その21年後のセンバツに、背番号が復活しました。

 

バックネット裏にいつもいる人たちは「8号門クラブ」というクラブの会員

甲子園の中継を見ていると、いつもバックネット裏で観戦している同じメンバーの人たちがいます。この人達は「8号門クラブ」の会員で、このクラブは8号門入口付近で寝泊まりして、夏とセンバツ甲子園の全試合を観戦する団体です。

 

勝利校の校旗掲揚はオリンピック選手の発案によるもの

このアイディアの発案者は1928年のアムステルダム五輪に出場し、元毎日新聞記者である人見絹枝さんによるもの。五輪で体験した「母国日の丸が掲揚されたときの感動を味わってほしい」と1929年のセンバツで導入されました。

 

甲子園の土は『春』と『夏』で微妙に違う

黒土は岡山や鹿児島などから取り寄せられた土で、それに砂を混ぜたものが甲子園の土となっています。この黒土と砂の割合は、雨の多い春のセンバツでは水はけの良いように砂を多めに。夏はボールが見えやすいように黒土が多めとなっています。

 

甲子園学院という名前の高校が存在する

兵庫県西宮市にある1941年開校の甲子園学院高校。2006年には同校の生徒が選手権兵庫大会の始球式を務めました。こんな名前の学校は全国の球児から人気が出そうですが、甲子園学院は女子高のため甲子園を目指す球児は入学できません。

 

アルプススタンドの名付け親は漫画家・岡本一平

甲子園球場がまだできたばかり頃、朝日新聞編集局の藤木九三さんは高くそびえるスタンドを「アルプス山脈のようだ」と連想し、その話を聞いた岡本一平さんは「アルプススタンド」という名前を考案しました。

 

甲子園に象を連れて来た応援団がいた

1948年のセンバツに地元から出場した鳴尾高校は甲子園近くの阪神パークの動物園より象を借り、レフト通路から入場させました。試合開始前には退場させましたが、これに対して当時の高野連副会長は怒りを露わにし「象を借りる方も、貸した方も非常識だ」とコメントを残しています。

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沖縄代表・首里高校は甲子園の土を持ち帰れなかった

沖縄がまだアメリカの管理下にあり、沖縄代表が甲子園に初出場した1958年の夏の甲子園。沖縄代表・首里高校は惜敗し甲子園の土を持ち帰ろうとしましたが、那覇港に到着した際「植物防疫法」に触れるとして”海外の土”である甲子園の土は海に捨てられてしまいました。

 

夏の甲子園の優勝旗が盗難に遭った事がある

1954年、中京商で優勝旗が盗まれる事件が起こりました。優勝旗は一向に見つからず、事件も迷宮入りしかけた矢先、中京商から少し離れた中学校で廊下の修理中に床下から小さく畳まれた優勝旗が発見されました。しかし、現在でも犯人や動機は謎のままです。

 

渋滞に巻き込まれ9回二死の場面でやっと甲子園に着いた応援団がある

1990年の夏の甲子園。試合前日の午後8時に出発した大宮東高校の1000人近い応援団は事故の影響と帰省ラッシュに巻き込まれ、およそ17時間かけて甲子園に到着。しかし状況は4点ビハインドで既に9回ツーアウト。大宮東応援団は数分で甲子園を去りました。

 

甲子園の土を最初に持ち帰ったのは川上哲治

1937年の決勝戦で敗れた熊本工業の川上哲治選手は「後輩たちの来年の活躍を願い、熊本と甲子園を土で結びつけよう」と考え、甲子園の土を靴下に入れて持ち帰り、熊本工業の練習場に撒いたそうです。

 

まだまだ尽きない「甲子園雑学」

今回紹介した雑学はほんの一部です。長い甲子園の歴史を紐解けば、さらに驚きの雑学が隠されているかもしれません。

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