隠し球、狙い打ち、実は天才?…元木大介の愛すべき「クセ者」エピソード
- 2016/4/13
- プロ野球
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人気は引退後も健在
当時の巨人・長嶋監督からそのプレースタイルから「くせ者」と呼ばれ、長嶋、原監督時代の巨人を支えた元木大介。
14年間で成績は891安打、66本塁打とスター選手の中では特別目立った成績ではなかった元木選手。しかし、高橋由・松井・清原ら擁した時代の巨人の中でも、彼らに引けを取らない存在感を見せ、当時の巨人に必要不可欠な選手であり、未だに記憶に残っているファンの方も多いはず。そして現在は、野球解説者・タレントとして活動し、人気者は健在です。
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『クセモノ』エピソード
なぜ彼はなぜスター軍団ジャイアンツの中で、「クセ者」として異彩を放つことが出来たのか?そして、なぜ彼はファン達の記憶に残るプレーヤーとなったのか?その秘密を解き明かすべく、元木大介の「クセ者」エピソードをまとめてみました。
- 小学校6年生の頃、当時巨人の監督だった王監督と対面した際に、「プロ野球はいるなら巨人に来いよ」と言われ、幼少時代からの南海ホークスファンから巨人ファンへ転向する。
- 大阪・上宮高校時代は、種田仁(元横浜・中日)とほっしゃん(お笑い芸人)とチームメイト。
- 高校通算24本塁打。甲子園にも3度出場。甲子園通算6本塁打は清原和博に次ぐ2位。
- 巨人入りを熱望していたものの、1989年のドラフト会議で巨人は大森剛を指名。福岡ダイエーホークスから外れ一位指名を受けたが断り、一年間ハワイにて野球留学する。
- 翌年1990年、一年間の浪人生活が実って、巨人入団。
- 当時監督だった長嶋監督に「君はホームラン10本で良い」と言われる。後に「クセ者」と命名される。
- 「クセ者」のニックネームにふさわしく、打席内の読みや勝負強さはピカイチであった。右打ちやカットの技術など相手投手に嫌がられる打者へと成長していった。1998年には得点圏打率1位を記録した。
- 練習嫌いで有名。手が痛くなってしまうので、努力がしたくても出来ないとコメント。松井秀喜の努力の才能を羨望していた。
- 有名な選手から才能が認められていた。江川卓は「イチロークラスのバットコントロール」、藤田元司は「センスも素質も凄いから何でも出来る」とコメント。落合博満はからは、才能は松井秀喜以上かもしれないと言われていたという話もある。
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- 投手と捕手以外どこでも守れるユーティリティープレーヤー。
- 野球選手らしからぬ足の遅さで、併殺打が多かった。
- 隠し球の名手として有名。しかし、1999年には元木が隠し球を試みようとしたせいで、投手・桑田真澄がボークをとられるということもあった。
- 清原和博との親交の深さは有名。清原のことを「親分」と慕っている。
- 巨人時代同僚であった松井秀喜からは、年下にも関わらず「大ちゃん」と呼ばれる。
- 併殺崩しの2塁へのスライディングの悪質さは球界屈指であり、2ちゃんねるなどの掲示板で叩かれることもしばしば。自身で「元木って結構いいやつだよ」と書き込むも、あっさりばれてしまった。
- 2003年、巨人に戦力外通告を受ける。他球団から誘いがあったが、「ジャイアンツが好きだから、入団した時からこのチームでいらないと言われたらやめようと決めていた」と、33歳で現役引退。
- 引退後、タレントとしても活動し、クイズ番組では珍解答を連発し、人気者に。
- 2012年のジャイアンツファンフェスタでは、長野に隠し球をされ、自身がアウトになった。
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野球センス+キャラクター
類いまれなる野球センスと、愛すべきユニークなキャラクター。その中には成績の数字には反映されない貢献がありました。
一時代のジャイアンツを支えた「記憶に残る」名選手であったと言えるでしょう。
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