スーパーカートリオ、オバQ?!多くのファンに愛された大洋ホエールズとは?
- 2015/3/11
- プロ野球
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行くぞ大洋♪行くぞ大洋♪
このフレーズに懐かしさを感じる方は多いのでないでしょうか?今回は、みなさんご存知であろう横浜DeNAベイスターズの前身である、大洋ホエールズを振り返りたいと思います。
下関、大阪、川崎、そして横浜へ
1949年11月22日、大洋漁業がまるは球団を設立。愛称をホエールズ、本拠地を下関球場としました。翌年に球団名を「大洋ホエールズ」に変更します。各球団から選手を補強しますが、結果が残せず広島カープとの合併の話も出たりもしましたが「1953年に、シーズン勝率3割未満の球団に対して処罰をおこなう」という前年の取り決めの該当球団となった松竹ロビンスと対等合併に合意、1954年には通称名の洋松が入る「洋松ロビンス」に改称し、大阪へ。翌年には、松竹が球団経営から撤退したため、球団名を再び大洋ホエールズに戻し、本拠地を神奈川県川崎市の川崎球場へ移転します。
そして1960年、三原脩さんを監督とし、秋山さんや島田源太郎さんを中心とした投手力を前面に押し出して水原茂監督率いる巨人と優勝争いを演じ、前年最下位からのリーグ優勝を果たします。
日本シリーズでも毎日大映オリオンズ相手に全て1点差勝利で4連勝。ついに日本一に輝きました。
その後も優勝を争うもあと一歩及ばず、ベイスターズ時代まで優勝はこの一度きりとなります。
1978年、同県横浜市中区に竣工した横浜スタジアムへ本拠地を移転し、球団名を「横浜大洋ホエールズ」に改称します。
古き良きホエールズ
ホエールズの選手といえば、スーパーカートリオといわれた高木豊さん、加藤博一さん、屋鋪要さんの俊足打者3人トリオ。この名前は、実は当時の近藤監督が「スポーツカートリオ」と命名しましたが、当時野球解説者だった長嶋茂雄さんが「スーパーカートリオ」と言い間違えたのが定着した原因ともいわれています。さすがミスター!
1985年、3人の盗塁数は高木さんが42盗塁、加藤さんが48盗塁、屋鋪さんが58盗塁の合計148盗塁。1チーム3人以上が40盗塁を同時に記録したのは実は、日本プロ野球史上でもこの一度だけでなのです。
このスーパーカートリオの活躍は、当時連日報道され、多くのプロ野球ファンを沸かせました。1987年からは加藤さんの代わりに高橋雅裕さんを加えたニュースーパーカートリオが結成されました。
ホエールズは、スーパーカートリオだけではありません。遠藤さん・若菜さんのバッテリーがクロマティを三振に切って、頭に指を当てて挑発した試合や、ナマズこと斉藤明夫さんがストッパー、主砲オバQ田代さんの豪快なバッティング。助っ人では何といってもスーパーマリオことポンセさん。
優勝この一度しかできませんでしたが、個性豊かな選手が多く、たくさんのファンに愛されていました。2015年のシーズンでは、横浜DeNAベイスターズはプロ野球初の女性オーナー南場さんに変わり、野球界へ新しい風を吹かせるでしょう!
あなたのホエールズの思い出の試合なんですか?大好きだった選手もぜひ教えてください!
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