個性的で強い!甲子園で旋風を起こした『沖縄』県代表高校をまとめてみた
- 2016/6/7
- 高校野球
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ダンゴムシ打法・トルネード投法
毎年、個性的なチームが出場するのが沖縄県。近年では個性的だけではなく、強さも兼ね備えています。今回は、その中でも印象が強い沖縄の甲子園出場校を紹介します。
セオリーにとらわれない超個性派集団 県立那覇高校
2000年夏の選手権。沖縄県の名門・沖縄水産を撃破して甲子園に乗り込んで来たのが県立那覇高校。話題を呼んだのは、左利きの三塁手と捕手。極め付けは「ダンゴムシ打法」と呼ばれた頭をキャッチャーミット付近まで下ろした打法などで、今でも高校野球ファンの記憶に残る個性的なチームでした。個性的な面ばかりがクローズアップされますが、甲子園の初戦では中京商(岐阜県)を延長戦で破るなど戦績も残しました。
「沖縄に初めての大旗を」2年連続準優勝 沖縄水産高校
1990年夏、1991年夏と2年連続で夏の甲子園の決勝戦に駒を進めた沖縄水産高校。
大野倫投手(ジャイアンツ-ダイエ-)を擁し90年は天理(奈良)に1-0で惜敗。翌、91年は、大阪桐蔭の強力打線の前に打ち込まれ沖縄の悲願はなりませんでしたが、沖縄水産の健闘は多くの高校野球ファンの間で記憶に残っています。また、長きに渡り監督として指揮をとった裁弘義監督は名物監督として知られ通算して春夏あわせて17回甲子園の土を踏んでいます。部長としての2勝を含めると29勝を挙げています。
沖縄県勢悲願の初優勝 沖縄尚学
紫紺の優勝旗がついに沖縄へ渡る瞬間が訪れました。
第71回選抜大会で31年振りの甲子園に帰って来た沖縄尚学高校が次々と強豪を下し、1960年に那覇高校が県勢として初めて甲子園の土を踏んでから、実に39年の歳月が流れていました。比嘉投手、照屋投手の2枚看板を擁して1回戦の比叡山(滋賀県)戦での完封勝利を始め、準決勝では優勝候補のPL学園(大阪)を延長12回の激戦の末下し、決勝戦では水戸商業(茨城)を2-7で下し遂に沖縄に優勝旗が渡りました。南国沖縄の選手達はポケットにホッカイロを忍ばせプレーしていたそうです。くしくも、大会行進曲は沖縄出身の2人組みの歌手Kiroroの「長い間」でした。エースの比嘉公也投手は後に母校の監督に就任し、東浜(亜細亜大-ソフトバンク)を擁して選手として監督としても全国制覇を成し遂げたのです。
「オヤジ」と共に掴んだ甲子園 八重山商工
2006年に石垣島から初めて甲子園出場を果たして甲子園を沸かせたのが八重山商工。エースの大嶺祐太投手(千葉ロッテ)を始め多くの選手達は監督である伊志嶺監督が小中学生の時に天塩にかけて指導した選手達が多く残り、選手と監督の長きの渡る物語もあり多くの高校野球ファンの間でも記憶している方も多い事でしょう。伊志嶺監督が率先してグランド整備、打撃指導など生活の全てを注げば、選手達も
いつも見守ってくれるオヤジ見たいな存在。
と語ります。
第78回選抜大会では2回戦で優勝した横浜高校に7-6と接戦を演じ、2006年の第88回夏の選手権ではベスト16まで進出。
選抜大会で勝利した際に
島の子供でも物怖じせずに、普段通りの野球を出来ると示せて良かった。
と選手を労えば、選手も口々に
監督と一緒にやってきた野球が甲子園でも通じた。石垣島でやって良かった。
と結びました。
沖縄県勢夏初制覇・史上6校目の春夏連覇 興南高校
トルネード投法の島袋投手(中央大-ソフトバンク)と強力な打線を武器に第92回大会を優勝したのは興南高校。決勝戦では好投手一二三投手(阪神)擁する東海大相模に13-1と圧倒的な強さで沖縄県勢初めて夏の大会を制し歴史に名を刻みました。夏の優勝と同時に第81回選抜大会を制し、史上6校目の春夏連覇を成し遂げました。92回大会の総得点50点、総失点12と、いかに投打バランスが良かったかを、驚異的な数字が物語っています。
沖縄県代表は指笛や「ハイサおじさん」に代表される応援も印象に残りますが、毎年、本土の選手には無い独特の風を甲子園に吹かせてくれます。日本で一番最初に夏の代表が決まる沖縄県。昭和47年に本土復帰してから44年。今後、沖縄の高校がどの様に個性的で、そして強い高校が甲子園を沸かせてくれるのか注目していきましょう。
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