27年ぶりに現場復帰!『四代目ミスタータイガース』掛布雅之
- 2015/11/13
- プロ野球
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四代目ミスタータイガース
2016年シーズンから阪神タイガースの2軍監督に就任したのが掛布雅之氏です。1988年に現役を引退してから27年。『四代目ミスタータイガース』掛布氏の就任に期待する阪神ファンも多いと思います。松井秀喜や阿部慎之助といったプロ野球界を代表する強打者が憧れていた存在でもある掛布氏の現役時代のエピソードを集めてみました。
テスト生から入団、阪神の四番に成長
掛布氏は1973年に習志野高校から阪神の入団テストを受け、ドラフト6位で入団します。決して鳴り物入りで入団したわけではありませんでしたが、高卒1年目から1軍に定着しました。
3年目の1976年にブレイクし、レギュラーに定着すると、1979年には48本を打ち自身初のホームラン王のタイトルを獲得し、西武に移籍した田淵幸一氏の代わりに阪神の四番に定着しました。
阪神21年ぶりの日本一に貢献
その後も1981年から5年連続全試合フルイニング出場を続け、1982年にはホームラン王と打点王の二冠、1984年にもホームラン王に輝き、阪神だけでなく球界を代表するホームランバッターに成長しました。
そして迎えた1985年、四番として阪神タイガースの21年ぶりのリーグ優勝、球団初の日本一に貢献しました。チームを率いた吉田義男監督は日本一後の会見で日本一になった要因を聞かれ、『うちには日本一の四番バッターがいますから』と答えています。
昭和を彩った江川卓との名勝負
掛布氏の現役生活において欠かすことの出来ないのが、江川卓氏との名勝負でした。江川氏が巨人に入団した1979年以降、阪神の四番対巨人のエースとしてしのぎを削り合いました。同級生でもあった二人は互いを意識しあう存在で、お互いの対戦が自分自身の調子を計るためのバロメーターになっていたと語っています。
晩年はともに故障に苦しみ、江川氏が1987年に32歳、そして後を追うように掛布氏が翌1988年に33歳の若さで現役を引退しました。これも何かの因縁なのかもしれません。
27年ぶりに帰ってきたミスタータイガース、長距離砲育成に期待
来シーズンから再び縦縞のユニフォームの袖を通す掛布氏には、未来の『ミスタータイガース』育成に期待が掛かります。テスト生から阪神、そして球界を代表する四番バッターに成長した掛布氏自身ののような四番バッターが生まれることを期待したいものです。
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