ドラフト指名は伝説の始まり?複数球団から1位指名が殺到した選手たち
- 2014/10/7
- プロ野球
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あの選手はどのチームへ行くのか?!
毎年ドラフト会議前になると、指名を巡りどんなドラマが待っているのか、非常に楽しみになります。指名を待つ選手たちにとって、最高の栄誉は1位指名でしょう。そんな1位指名を1チームに留まらず、複数受けた選手が、歴代にはいました。今回は、そんな複数球団競合選手をピックアップしてみました!
1989年 野茂英雄投手(新日鉄堺)
8球団から1位指名 → 近鉄
1988年のソウルオリンピックでは日本代表として銅メダルに貢献するなど、当時のアマチュアNo.1投手として進路が注目されていた。ドラフト直前、どの球団から指名されても入団するとコメントしていました。プロ入り後は「トルネード投法」で日米野球界に旋風を巻き起こします。日本にて78勝、4年連続最多勝。「パイオニア」として乗り込んだメジャーの世界では、123勝、ノーヒットノーラン2度をマークしました。
1990年 小池秀郎投手(亜細亜大)
8球団から1位指名 → ロッテ(入団拒否)
大学時代はシーズン最多奪三振、通算奪三振の記録を塗り替え、最優秀投手に2度、ベストナインに2度輝くなど、大学屈指のピッチャーとして注目を集めました。社会人生活を経た2年後に近鉄に入団し、1997年には15勝を挙げ最多勝に輝いた。
1995年 福留孝介選手 (PL学園)
7球団から1位指名 → 近鉄(入団拒否)
高校生に対する7球団の1位指名は、歴代1位でしたが、福留選手は社会人入りを決断。1998年に逆指名で中日に入団しました。プロ入り後はMVP(2006年)、2度の首位打者、ゴールデングラブ賞を4回獲得するなど大活躍。メジャーのオールスターも経験しました。
1979年 岡田彰布選手(早稲田大学)
6球団から1位指名 → 阪神
早稲田大学時代は5季連続のベストナイン、戦後4人目の三冠王に輝き、通算打率と打点は現在も東京六大学記録となっています。プロ入り後は、タイガースの中軸として球団初の日本一に大きく貢献しました。
1985年 清原和博選手(PL学園)
6球団から1位指名 → 西武
念願の巨人入り叶わず、涙の記者会見後の1年目から、打率.304・31本塁打と大活躍。打撃主要タイトルの獲得はないものの、通算2122安打・525本塁打の豪快なバッティングと勝負強さは見る者をを惹き付ける名選手でした。
2007年 大場翔太投手(東洋大)
6球団から1位指名 → ソフトバンク
東洋大学時代の2007年、春季・秋季と2季連続でMVP・最優秀投手・ベストナインに輝く大活躍。プロ入り初登板は無四球完封勝利。制球と精神面の脆さを克服し、更なる活躍が期待されます。
2009年 菊池雄星投手(花巻東)
6球団から1位指名 → 西武
甲子園で154キロをマークするなど、メジャーの球団とも面談をするなど日米でその去就が注目されました。2013年はシーズン途中で戦線離脱するも、9勝・防御率1.92とそのポテンシャルの高さを見せている。
2010年 大石達也(早稲田大)
6球団から1位指名 → 西武
MAX154キロのストレートを武器に、大学時代は斎藤佑樹投手・福井優也投手らとともに早稲田大学の黄金時代に大きく貢献します。持ち前の速球を武器に、来季以降は抑えとして期待している首脳陣の期待に応えられるでしょうか。
今まで6球団以上球団が競合したのは8選手。中には思うように結果を残せず、苦しんだ選手もいます。どの選手も、その年の「ドラフトの顔」と呼ばれる選手ばかり。競合覚悟で1位指名をするような選手は、飛び抜けた実績を持った選手が多いですね。
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