もう一度グラウンドへ!不屈の精神力と努力で戻ってきた3人のカムバック賞受賞者たち
- 2014/8/30
- プロ野球
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絶望からの復活
常に懸命のプレーが必要とされるプロ野球の世界で、大怪我で選手生命を脅かされる選手も少なくはありません。大怪我やアクシデント、病による手術・リハビリのための長期離脱を強いられながらも、「もう一度グラウンドに立つ」という気持ちを切らさず、不屈の精神力と努力でカムバックを成し遂げた選手たちがいます。今回は歴代のカムバック賞受賞選手の中から、特に印象に残る復活を遂げた選手を紹介したいと思います。
吉村禎章 読売ジャイアンツ 1990年
高卒2年目に84試合出場し、打率.326という成績を残すと、その翌年から5年連続で打率3割を記録。1986、87年には2年連続でベストナインを受賞する。しかし、1988年も札幌円山球場手行われていた中日戦で、レフトフライ捕球時にセンターの栄村忠広選手と激突。「交通事故レベル」と主治医に言われるほどの左膝靭帯断裂の大怪我を負いました。
スポーツ医学の権威、ジョーブ博士の2度の手術と1年半に及ぶ厳しいリハビリにより、100mを11秒台で走れるまでに復活します。軸足である左足に体重をのせる打ち方は困難になったものの、その打撃センスで前足に重心をおく打ち方を習得し、1989年の9月に見事に復帰します。翌年、リーグ優勝を決めるサヨナラホームランを放つなど、打率.327 14本塁打の活躍し、この年、カムバック賞を受賞しました。
盛田幸妃 近鉄バファローズ 2001年
リリーフ投手での最優秀防御率のタイトル受賞するなど、大魔神・佐々木主浩との「ダブルストッパー」として横浜時代から活躍。しかし、近鉄バファローズに移籍した1998年に右足首の違和感や麻痺が起き、検査の結果脳腫瘍と診断される。
医師から「普通の生活には戻れても、野球選手としてはあきらめなければならないかもしれない」と通告され、手術後も右足に麻痺が残るが、厳しいリハビリと驚異的な回復力を見せる。翌年のシーズン最終戦で復帰を果たします。2001年には34試合にリリーフ登板し、2勝を挙げる活躍で、近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献し、カムバック賞を受賞。この年のオールスターでは中継ぎ投手部門1位で選出されました。引退後は、「奇跡のリリーバー」と呼ばれ、解説者として活躍しています。
小久保裕紀 読売ジャイアンツ 2004年
福岡ダイエーホークスをBクラスが続いた時代から中軸として支え続け、1999年にはチーム初の日本一に大きく貢献します。また、個人としても1998年以外は20本塁打以上を記録し、本塁打王・打点王を各1回、ベストナイン2回と球界を代表するプレーヤーに。しかし、2003年のオープン戦のホームスライディング時にキャッチャーと交錯し、右膝前十字靭帯断裂や内側靭帯損傷など複数の箇所で大怪我を負い、2003年のシーズンを全休することとなります。
2003年のシーズン終了後、突然の読売ジャイアンツへ無償トレードによって、電撃移籍。様々な苦難や状況が折り重なる中で、新天地で迎えた2004年シーズン、故障箇所にサポート器具を付けた状態で開幕スタメン出場。復帰、そして移籍初年度で打率.314 41本塁打 96打点という素晴らしい成績を残し、カムバック賞を受賞しました。
カムバック賞を受賞した選手は全部で29選手
今回は3選手の復活劇の一部分を取り上げましたが、カムバック賞を受賞した選手全員にそれぞれ想像を絶する努力があり、心を打つ物語があります。華々しい大活躍でファンを沸かすことだけでなく、その不屈の精神でファンを感動させるのも、プロ野球選手の凄さであり、尊敬すべき部分だと思います。何かに悩んだり、つまづいた時。是非、他の選手の「復活の物語」を紐解き、明日への頑張りへ繋げてみてはいかがでしょうか。
歴代カムバック賞受賞選手
セントラル・リーグ
- 石岡康三
- 安仁屋宗八
- 船田和英
- 浅野啓司
- 野村収
- 三村敏之
- 谷沢健一
- 藤田平
- 鈴木孝政
- 津田恒実
- 杉浦享
- 新浦壽夫
- 有田修三
- 西本聖
- 中尾孝義
- 吉村禎章
- 遠藤一彦
- 伊東昭光
- 川崎憲次郎
- 彦野利勝
- 加藤伸一
- 伊藤智仁
- 斎藤隆
- 遠山奬志
- 種田仁
- 成本年秀
- 前田智徳
- 平野恵一
- 大竹寛
パシフィック・リーグ
- 門田博光
- 村田兆治
- 小野和義
- 白井一幸
- 西村龍次
- 盛田幸妃
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