「悲運の名将」西本幸雄監督の運命を変えた2つのスクイズ
- 2016/2/23
- プロ野球
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大毎・阪急・近鉄を指揮!8度のリーグ優勝
1384勝1163敗 Aクラス12回 リーグ優勝8回
西本幸雄監督は、大毎で強力打線「ミサイル打線」を形成し就任1年目にリーグ優勝。阪急の監督としてリーグ3連覇。近鉄を初優勝へと導いた名将です。しかし、8度の優勝を誇る西本監督ですが、日本一は一度も経験していません。そんな西本監督は、日本シリーズでのスクイズを巡る2つのエピソードがあります。今回は、西本監督の運命を変えたとも言えるその2つのスクイズについてご紹介します。
一つめのスクイズ「ミサイル打線の奇策」
1960年に強力打線を擁してリーグ優勝を果たした大毎オリオンズ。日本シリーズでは大洋相手に初戦を落とし、迎えた第2戦、8回裏1点ビハインド、1アウト1,3塁の場面でスクイズを敢行しました。決まった、かと思われましたがバントした打球がホーム手前で失速し、捕手が捕球、3塁走者にタッチし一塁に転送してダブルプレー。チャンスを生かせなかった大毎は第2戦も落としました。
その試合を球場で観戦していた大毎のオーナー永田雅一は「強打大毎打線がスクイズとは何事か」と西本監督の采配を批判し西本監督と衝突。大毎はその後の第3戦、第4戦と連敗し敗退。西本監督は永田オーナーとの関係とシリーズ4連敗の責任を取って、リーグ優勝を果たしながら辞任することになりました。
二つめのスクイズ「江夏の21球」
1979年、日本シリーズに駒を進めた西本監督率いる近鉄は同じ初の日本一を目指す広島と激闘を繰り広げ、勝負は第7戦までもつれました。
運命の第7戦。1点ビハインドの9回裏、ヒットと四球でノーアウト満塁とした近鉄はスクイズを仕掛けました。しかし、これを江夏・水沼の広島バッテリーが外し、3塁ランナーがタッチアウト。その後、三振を喫しゲームセット。近鉄はあと一歩のところで日本一を逃しました。
その翌年にも西本監督は日本シリーズに出場しますが、再び広島に敗北。このシリーズが、西本監督にとって最後の日本シリーズになりました。結果的に1979年の「江夏の21球」が西本監督が最も日本一に近づいた試合だったことになりました。
「私は幸運な凡将です」
日本一の栄冠には届かなかった西本監督。そんな彼を野球ファンは「悲運の名将」と呼びました。しかし、本人はこれに対して
「私は悲運の名将ではなく、選手に恵まれた『幸運な凡将』です。日本一になれなかったのは私に甘さがあったから」
と語っています。
時には厳しく時には根強く見守った名将
米田哲也、山田久志、梨田昌孝、羽田耕一など数々の名選手を育て上げ、様々な名勝負を生んだ監督人生はまさに「日本一」に匹敵する輝きを見せたと言えるでしょう。