4人が名球会入り!?2001年ヤクルト優勝メンバーの過去と今
- 2016/4/8
- プロ野球
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4人が名球会入りを果たした黄金メンバー
2015年シーズン、セリーグ優勝を果たしたヤクルト・スワローズ。前回の優勝は今から15年前となる2001年シーズンでした。
15年の歳月が流れ、当時のメンバーが現在どうなっているのか。今回は、5人の主力メンバーの成績とともに2001年優勝メンバーを振り返ってみたいと思います。
1番センター : 真中満 (現・ヤクルト・スワローズ監督)
2001年シーズン成績:打率.312 本塁打7 打点36
1992年にドラフト2位でヤクルトへ入団。1990年代のヤクルト黄金期においてはゴールデングラブ賞7回受賞の名手・飯田哲也選手が大きな壁となっていました。
しかし、1997年にレギュラーの座を奪取すると、1999年には初の打率3割を記録し、2001年シーズンも打率.312を記録し、1番バッターとしてチームの優勝に貢献しました。
引退後はヤクルトの二軍打撃コーチ、二軍監督、一軍打撃コーチを経てヤクルトの監督に就任すると、監督一年目となる2015年シーズンは前年度最下位だったチームを見事立て直し2001年以来のリーグ優勝に導きました。
3番ライト : 稲葉篤紀 (現・侍ジャパン打撃コーチ)
2001年シーズン成績:打率.311 本塁打25 打点90
1994年にドラフト3位でヤクルトへ入団。1996年シーズンにレギュラーに定着しましたが、1998年から2000年は出場試合数が二桁に終わるなど不振に陥っていました。
しかし、2001年シーズンは5年振りの3割を記録するなど見事復活し、自身初のベストナインに輝く飛躍のシーズンとなりました。
2005年からは日本ハムで10シーズンプレーしチームの主軸として活躍、2009年WBCでは四番を務めるなど球界を代表する選手として活躍しました。
日本ハムでは選手兼任コーチとして、引退後に就任した侍ジャパンでも打撃コーチとして、中田翔選手を球界を代表する選手に成長させました。
6番サード : 岩村明憲 (現・福島ホープス選手兼任監督、球団代表)
2001年シーズン成績:打率.287 本塁打18 打点81
1996年にドラフト2位でヤクルトへ入団。4年目となる2000年にレギュラーを奪い、自身初のゴールデングラブ賞を獲得すると、ヤクルト伝統の背番号1を背負った2001年シーズンもサードのレギュラーとしてリーグ優勝に貢献しました。
日本代表として2006年、2009年のWBC連覇に貢献する傍ら、2007年からはメジャー・リーグ、レイズへ移籍。2008年には1番セカンドのレギュラーとして地区優勝獲得に貢献し、ワールド・シリーズに出場しました。
メジャーから帰国後は、楽天、ヤクルトでプレーした後、2015年にBCリーグ福島ホープスの選手兼任監督に就任。BCリーグ参入一年目ながら、後期では地区優勝を果たしました。
7番レフト : ラミレス (現・横浜DeNAベイスターズ監督)
<2001年シーズン成績> 打率.280 本塁打29 打点88
メジャー・リーグ、パイレーツから2000年にヤクルトへ入団。1年目からレフトのレギュラーとして138試合に出場し29本塁打を放ち、四番のペタジーニ選手に次ぐ長距離砲として優勝に貢献しました。
その後はヤクルト、巨人、DeNAの3球団で四番を務めるなど13シーズンNPBでプレーし、外国人選手初の2000本安打を達成するなどプロ野球球史に残る助っ人外国人選手として活躍しました。
BCリーグの群馬、オリックスでコーチ経験を積んだ後、2015年シーズンオフにDeNAの新監督に就任しました。ヤクルト時代の優勝メンバー、真中監督とのヤクルト対決にも注目が集まります。
抑え : 高津臣吾 (現・ヤクルト・スワローズ投手コーチ)
2001年シーズン成績:0勝4敗37セーブ 防御率2.61
1990年にドラフト3位でヤクルトへ入団。入団3年目の1993年シーズンに先発から抑えに転向すると、ヤクルト不動の抑えとして1994年、1999年シーズンに最優秀救援投手に輝くと、2001年シーズンは37セーブを挙げ自身3回目となるタイトルを獲得しました。(2003年に4回目のタイトルを獲得。)
2004年シーズンからはホワイトソックスへ移籍するなどメジャー・リーグでも2シーズンプレーし、日米通算313セーブを挙げました。
現役引退後は解説者を経て、2014年シーズンからヤクルトの投手コーチに就任すると、2015年シーズンは投手陣を安定させ、リーグ優勝獲得に貢献しました。
ヤクルト新黄金期到来なるか
2001年のヤクルト優勝メンバーからは稲葉選手、ラミレス選手の他に、「ID野球の申し子」古田敦也選手、日本記録となる67犠打を記録した「日本のキャプテン」宮本慎也選手の4名が2000本安打を達成し、名球会入りを果たしています。
2015年に14年振りのリーグ優勝を果たし、連覇が期待される2016年シーズンのヤクルトにおいて、山田選手、小川選手などの若手選手が中心となり、新黄金期を築いていけるのか。注目していきたいと思います。
(参考)2001年ヤクルト基本オーダー
- (中) 真中 満 打率.312 本塁打7 打点36
- (遊) 宮本 慎也 打率.270 本塁打1 打点17 67犠打 (ゴールデングラブ)
- (右) 稲葉 篤紀 打率.311 本塁打25 打点90 (ベストナイン)
- (一) ペタジーニ 打率.322 本塁打39 打点127 (MVP・本塁打王・打点王・最高出塁率など)
- (捕) 古田 敦也 打率.324 本塁打15 打点66 (ベストナイン
- (三) 岩村 明憲 打率.287 本塁打18 打点81 (ゴールデングラブ)
- (左) ラミレス 打率.280 本塁打29 打点88
- (二) 土橋 勝征 打率.249 本塁打2 打点31
- (投) 藤井秀悟 14勝8敗 防御率3.17 奪三振124 (最多勝・ベストナイン)
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