知ってた!?なぜ「野球日本代表」が「侍ジャパン」と呼ばれるようになったのか
今や誰もが知るネーミングの裏にあった苦労
野球の日本代表が強化試合を行う際や、ニュースで取り上げられる際に「日本代表」ではなく「侍ジャパン」と表記されていることを不思議に思ったことはないでしょうか?今回は「侍ジャパン」という名が決まるまでの経緯を調べてみました。
使用するたびに許可が必要な「WBC日本代表」という名称
第2回WBC開催を控え、日本プロ野球としては、この大会と日本代表の認知度をアップさせる事が必要とされました。しかし「WBC日本代表」という名称やオフィシャルマークを広告に使用するためにはWBCサイドに使用許可をとらなければならず、独自に野球日本代表を象徴するような名称が必要とされました。
考案したのは電通
この大会で日本代表ユニホームの広告や放送権、マーケティング権を獲得した広告会社「電通」。電通はそれまでの「(監督名)+ジャパン」という形ではなく、監督が変わっても長く使われるように独自の名称を考案しようとしました。
そうして電通内で名称会議が重ねられ「サムライジャパン」が誕生しました。
「侍ジャパン」はアイスホッケー日本代表が商標登録済
電通の発案によって名称は決定しましたが、ここで大きな問題が発生しました。「サムライジャパン」という名前は既に男子アイスホッケー日本代表が商標登録していたのです。日本ホッケー協会と交渉・調整を進めた結果、野球日本代表は「SAMURAI JAPAN」とアルファベット表記で登録することで問題は解消しました。
お前さんたちは、強い侍になった!
「侍ジャパン」は第2回WBCで激闘を繰り広げ、見事連覇を果たしました。
優勝後のビール掛けの際に原辰徳監督は
お前さんたちは、強い侍になった!
とスピーチし、優勝後の会見でイチロー選手が
侍ジャパンというネーミングに始まった今大会。その時点でプレッシャーが自分たち自身にかかった。侍が勝たないと格好がつかない。そういう意味では最後に侍になれてよかった。
とコメントしている事からも、選手達が侍ジャパンという名前を意識して戦っていたことがわかります。
広がっていく「侍ジャパン」
WBC開催当初は、代表戦であるにも関わらず観客席の空席も目立ち、日本代表そのものの知名度も低い状態でした。しかし国際大会の度に勝利を重ね、日本中を熱狂させる野球日本代表「侍ジャパン」は、日本人の中に確実に浸透しつつあります。