不屈の努力でカムバック!トミー・ジョン手術から見事復活した5投手

  • 2016/1/8
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手術後にさらなる進化を遂げたケースも

近年、「トミー・ジョン手術」という言葉は、多くの野球ファンの中で聞き馴染みのあるものとなりました。今回は、「トミー・ジョン手術」から復活し、活躍を収めた選手たちを調べてみました。

 

そもそもトミージョン手術とは?

肘の靱帯を断裂した際に行う、通常反対側の腕の靱帯や足の腱など正常な部位を移植する手術のこと。ちなみに「トミージョン」の由来は施術した医師の名前ではなく適用第1号となった選手の名前です

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村田兆治

1982年に右肘を故障し様々な治療法を試みるが改善されず、翌年手術を受け2年間のリハビリを経て1984年に復帰しました。翌1985年には開幕11連勝を含む17勝5敗の成績を残しカムバック賞を受賞。2013年には始球式に登板し、63歳にして135km/hを記録するなど、快速球は現在も健在です。

手術後の主な成績:カムバック賞 (1985年 17勝5敗) 最優秀防御率 (1989年 2.50)

通算成績:604試合215勝177敗33セーブ

 

桑田真澄

1995年6月15日阪神戦で、小フライに飛び込み右肘を強打。側副靱帯を断裂し、その治療のため、トミージョン手術を選びました。1995年の残りのシーズンと1996年を治療とリハビリに費やしまし、661日ぶりの復帰となった1997年4月6日。登板前に右肘をプレートにつけるシーンは、現在でもプロ野球の名シーンとして語り継がれています。

手術後の主な成績:最優秀防御率(2002年 2.22)最高勝率(1998年 .762)

通算成績:461試合 173勝142敗 14セーブ3ホールド (日米通算)

 

五十嵐亮太

2006年に右肘靱帯断裂。オフにトミージョン手術を受け1年をリハビリに費やしますが、2008年の開幕戦に登板すると154km/hを記録するなど1イニングを無失点。44試合に登板して防御率2.47と、見事復活しました。現在もソフトバンクのセットアッパーをして活躍しています。

手術後の主な成績:リーグ最多ホールド (2014年 44ホールド)

通算成績:758試合 59勝 3敗 70セーブ143ホールド (日米通算)

 

林昌勇

2005年に登板過多によって右肘を故障、2006年にトミージョン手術を受けました。2008年には東京ヤクルトに入団し、勝利の方程式として33セーブを挙げる活躍を果たします。2009年には160km/hをマーク。2012年にも肘内側側副靱帯を損傷し、再びトミージョン手術を受けていますが、その際も見事に復帰しました。

手術後の主な成績:3年連続オールスター出場(2009~2011年) 2010年 35セーブ 防御率1.46

通算成績:882試合 125勝85敗 360セーブ27ホールド

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田沢純一

2010年、右肘の靭帯損傷が見つかり、トミー・ジョン手術を選択。4月に手術を受け、その年のシーズンはリハビリに費やします。2012年シーズン中盤にメジャーに定着すると、2013年シーズンからは救援陣の一角を担います。手術後は、常時95マイル、150km/h中盤を常時マークするようになりました。

手術後の主な成績:3年連続60試合登板(2013年~)

通算成績:241試合 14勝18敗 4セーブ62ホールド

 

ここに挙げた選手はほんの一部で、その他にもトミージョン手術によって復活を果たした選手は多く存在します。しかし、その裏には年単位の過酷なリハビリや現場復帰までの長い下積みが存在している事を忘れてはいけません。

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