『忍者打法』から『秀太事件』まで!球史に残る珍プレー6選
- 2016/1/27
- プロ野球
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好プレーの裏に珍プレーあり
プロ野球という勝負の世界。「これぞプロ」と呼べる数々の好プレーが存在する傍ら、観客を楽しませてくれるのが珍プレー。好プレーとともに珍プレーも私たちプロ野球ファンを楽しませてくれる一つの要素であるといえます。
そこで今回はプロ野球史に残る珍プレーを集めてみました。
宇野勝(元 中日、ロッテ)
球史に残る珍プレーといえば中日時代にホームラン王も獲得した宇野選手の「ヘディング事件」が挙げられるでしょう。この試合の先発は星野仙一選手。後輩の小松辰雄選手と「どちらが先に巨人を完封するか」という勝負をしており、7回無失点で迎えたこのプレーで1失点を喫し、悔しさを露わにしました。このプレーはテレビなどで度々取り上げられ、宇野選手を全国区の選手に引き上げるキッカケとなりました。
達川光男(元 広島)× 市川和正(元 大洋、元 横浜)
「詐欺師」とも称される数々のトリックプレーで1980年代のプロ野球を楽しませてくれたのが、達川選手と市川選手の両キャッチャーです。両者は「西の達川、東の市川」と呼ばれることもあり、互いの存在を意識しあう関係でした。市川選手の「忍者打法」は3年掛かって取得した打法で「究極の見逃し方」と語っています。
井上一樹(元 中日)
ドラゴンズ一筋19年、リストバンドがピンクであることから「ピンキー井上」の愛称でも親しまれた井上選手。プレー面だけでなく2006年から2007年には選手会長を務めるなど人柄の良さで親しまれました。このシーンでは試合中表情を出さないことで知られていた落合監督も思わず苦笑いしている様子が印象的です。
ホージー(元 ヤクルト)
1997年にヤクルトに入団し、巨人の松井秀喜選手を上回る38本の本塁打を記録し、ヤクルトのリーグ優勝に貢献したホージー選手の珍プレーです。西武との日本シリーズ第二戦で投手の投げた内角の球に対して、止めたバットのグリップエンドに当たりフェアゾーンへ転がるというプレーでした。(記録はキャッチャーのフィルダースチョイス)
これを見た評論家からは野球漫画「ドカベン」に出てくる殿馬一人を思わせるような「秘打」であると言われました。
ブラウン(元 広島、元 楽天監督)
2006年から2009年まで広島カープ、2010年には東北楽天イーグルスの監督を務めたブラウン監督。ブラウン監督といえば気性の激しい監督として知られ、監督としてプロ野球史上最多の12度の退場処分を受けました。名物ともなった「ベース投げ」や「ベース隠し」は監督である自分に矛先を向けて選手を守るためのパフォーマンスでもあり、ブラウン監督が退場した12試合のチームの成績は9勝3敗という高い勝率を誇りました。
下柳剛(元 阪神、元 日本ハムなど)× 田中秀太(元 阪神)
2005年に史上最年長での最多勝を記録した下柳選手と、野村克也監督に「F1セブン」の一人として注目され、守備のユーテリティープレイヤーとして活躍した秀太選手。「秀太事件」とも呼ばれ阪神ファンの間で伝説となったこのプレーは、勝てば阪神タイガースのCS進出が決まるという試合でした。
「あの場面、オレが一番に考えていたのは、秀太の自信を回復させることやった。鳥谷の復帰にはしばらく時間が必要やったし、今後、秀太が遊撃のスタメンという試合もあるやろう。だからこそ、なるだけ簡単なゴロを打たせようと思ったし、実際、オレがイメージしていた通りのゴロが飛んだ。なのに…」
現役を退いた下柳選手は当時のことに対してこのように語っています。
真剣勝負だからこそ生まれた数々のプレー
以上の6つのプレーを紹介してきましたが、どのプレーにも共通しているのが「チームが勝つために」という緊迫した中で生まれてしまったプレーの数々であるということです。プロ野球選手として、優勝を目指して戦っている真剣勝負の世界だからこそ時には感情を露わにするようなプレーが生まれるのでしょう。
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