硬式クラブチーム、横浜中央クラブの挑戦  〜Ⅱ 悔悟を噛み締めるコールド負け〜

  • 2017/7/1
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新井監督

9-1コールドでの二回戦敗退

満を侍して臨んだはずのクラブ選手権兼都市対抗神奈川県予選。準優勝以上のチームが関東予選に進み、全国大会となるクラブ選手権への階段をひとつ登れることになる。

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その予選、二回戦で当たったのは、神奈川県に王者として君臨する「横浜金港クラブ」。ここ2年は連続優勝しているこのチームは、なんと70年の歴史を誇る。全日本クラブ選手権5回出場、2011年にはベスト4まで進出。まさに、神奈川県の王者である。

P秋里、高橋(啓)、横溝、本浦-土橋、田岡

P秋里、高橋(啓)、横溝、本浦-土橋、田岡

 

荒井監督は言う。

「勝率は2割程度だと思っていました。5回中1回は勝てる。その1回をどうこの予選に持ってくるか。」

勝負はよく晴れたゴールデンウィークの祝日だった。

「今年はいける。」広報の横田氏もそう意気込んでいた。しかし、結果は無残にもコールド敗け。得点は、負傷者の代わりに選手としてやむなく出場した荒井監督のタイムリーのみ。スコアは「まだまだ何かが違う」と物語る。横浜中央クラブの今年の手応えは砂上の楼閣に過ぎなかったのだろうかー

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「負けてやる気が出た」新人 石川の場合

大学生、新人の石川選手は、一回戦のベイブルース戦の朝、緊張を抑えられずにいた。大会前、調子が上がらず、打てない負のスパイラルにはまっていた。練習試合で思うように打てず、気持ちが落ち、さらに打てない。直前1、2試合になり少しずつよくなって気持ちを上げて臨んだものの、横浜中央クラブに入っての公式戦。

そして、まさかのミスを連発。チャンスでの打ち損じだけでなく、痛恨のサインミスまで重なり、チームの足を確実に引っ張っていた。勝てる試合を潰した。そして試合は1-1のままタイブレークに入る。十二回までもつれこみ満塁でまわってきた打席。石川選手は「自分がチームの足を引っ張っていました。痛いほど自覚がありました。だからこそ、この打席、自分で決めると思っていました。逆に開き直っていましたね」。内角にきた球を若干詰まり気味で打つ。「抜けろー!」と願ったボールはセンター前ヒットとなり、サヨナラ勝ち。「負けたら自分のせいだったので、チームが勝って良かったです」と安心した顔つきで語ってくれた。

そして二回戦。横浜中央クラブに入る前からただただ強いと聞いていた金港クラブ。初回にフェンスギリギリのライトの難しいファールフライを取れたことで緊張もとけた。試合中は、チームの気合をビリビリと感じた。「勝ちたい」そう願い五回まわってきた二死一二塁のチャンス。点を取るべく打席に立つ。ストレート狙いだがひっかけてしまい、凡退。

「今でも悔しいです」試合から一週間が経った後の取材で石川選手はそう答えた。「何年もいる先輩選手の『勝ちたい』の意味が分かりました。」試合中、バッティング初めレベルの違いも感じた。「次、勝てるイメージはありますか?」の記者の質問にそれでも明るく「はい、あります」と答える石川選手。今から思うと大会前の自分は軽い気持ちだった。負けてやる気が出た、という。この若い選手の気持ちの萌芽は、横浜中央クラブに花を咲かせるだろうか。

石川選手

インタビューに答えてくれた石川選手

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>>次ページ:「気持ちの入り方で負けている」

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