『草魂サウスポー』『フォークのおばけ』〜プロ野球 歴代の背番号『1』投手たち
- 2015/12/27
- プロ野球
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ベイスターズの剛腕ルーキーが新たに『1』に!
横浜DeNAベイスターズのドラフト2位、熊原健人投手が背番号『1』をつけることが決まりました。高校野球では、エースナンバーとして用いられる背番号『1』。一方で、プロ野球では、各球団の看板選手、特に野手がつけることが多い背番号『1』。楽天の松井裕樹投手がその番号を背負っていますが、過去にはどのような選手が『1』を背負い、活躍をしたのでしょうか。今回は、プロの世界で背番号『1』を背負った歴代のピッチャーについて調べてみました。
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鈴木啓示(近鉄)
- 通算317勝・3061奪三振はともに歴代4位。シーズン20勝・リーグ最多奪三振も8度ずつマークしている。なお、300勝投手は鈴木投手以降現れていません。
- 被本塁打560本はプロ野球歴代2位の山田久志投手(490本)・メジャーリーグ記録のジェイミー・モイヤー投手(511本)を大きく上回る世界記録。本人はこの記録について、「男の勲章だと思っている。どんな強打者からも逃げずに勝負した結果。560本も打たれるまで使ってもらえる投手は他にいない。」と語っている。座右の銘は「草魂(そうこん)」。
- 現役生活20年間、背番号1をつけ続け、近鉄球団における永久欠番となり、2002年には野球殿堂入りも果たしました。
近藤真一 (中日)
- 『10年に一度の逸材』と注目を浴び、享栄高校から5球団の競合の末に中日ドラゴンズに入団。
- プロ1年目の1987年8月9日の巨人戦で史上初となるプロ初登板でのノーヒットノーランを達成。この時若干18歳でした。
- 1年目の活躍が評価され、入団時の背番号13から2年目からは背番号1に変更しました。
野田浩司(阪神ーオリックス)
- 入団1年目から3年目まで背番号1を背負い、1年目から規定投球回に達します。3年目には11勝を挙げました。
- 当時ヤクルトスワローズの野村克也監督は、野田投手がオリックスへ移籍した際、「フォークボールのお化けが消えた」とコメントしました。
- オリックス移籍後はそのフォークボールを武器に3年連続2桁勝利と200奪三振をマーク。1995年には1試合19奪三振の日本新記録を達成しました。
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松井・熊原は新たな背番号『1』像を作れるか?
「記憶に残る投手になりたい」
そう語る熊原健人投手。
新人の年から背番号1を任された松井・熊原両投手は、歴代の背番号1に引けを取らない成績、そしてインパクトを球界に残す選手になれるでしょうか。2016年の2人の活躍に目が離せません!
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