なぜ上原浩治は進化し続けられるのか






なぜ上原浩治は年齢を重ねながらも進化し続けられるのか

中学時代は陸上部

学校に野球部がなかった。高校時代は全くの無名選手。体育教師になる夢を叶えるため体育大学への進学に備えるが、結果は不合格。

浪人し予備校に通いながらジムでトレーニングを積み、夜は道路工事のアルバイトもこなした。そして翌年、再受験し合格。入学後の野球部で1年半ぶりの投球は驚くほど球威が増し、146km/hを記録した。

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驚異的な記録を打ち立てる大学時代

大学では主戦投手として優勝に貢献。大学3年の1997年、日本代表に選ばれインターコンチネンタルカップ決勝で、当時国際大会151連勝中だったキューバ相手に先発し勝利。インターコンチネンタル最優秀投手賞を受賞。秋の大阪経済法科大学戦ではリーグ記録の1試合21奪三振を記録。4年時の姫路獨協大学戦ではノーヒットノーランを達成。大学4年間で通算リーグ優勝5回(1年春、2年春秋、3年秋、4年春)、36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回。通算36勝、完封13はリーグ記録。

浪人時代を忘れないための「19」

メジャー4球団を含む日米の複数球団が獲得に動く。そして迷いながらも巨人を逆指名し、1位で入団。背番号19は、大学受験に失敗して浪人生活を送った19歳の1年間を忘れないようにという意味が込められていた。

勝負できない悔しさを見せるルーキー

そしてプロ1年目、新人投手の記録としては1966年に堀内恒夫が記録した13連勝を33年ぶりに更新。

最終戦では、各チームに所属する松井とペタジーニが本塁打王を争っていた。上原自身も中日の野口と最多勝を争い、この試合に20勝目がかかっていた。ペタジーニを無安打に押さえ込んでいた上原は、1・2打席目では勝負して打ち取ることに成功するが、この間松井が一貫して敬遠気味の四球で歩かされ続けたことで、7回裏にペタジーニの3打席目でベンチからの敬遠の指示に従い敬遠。勝負できない悔しさからマウンドの土を蹴り、目に浮かんだ涙をユニフォームの袖で拭った。20勝4敗、両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹以来9年ぶり、新人投手としては1980年の木田勇以来19年ぶりの20勝投手となった。

最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を達成。新人王と沢村賞も受賞。

苦しんだメジャーでのスタートダッシュ

メジャー移籍1年目の2009年5月23日、脱水症状からくる左太もも裏の痛み。故障者リスト入り。その後右ひじ腱の部分断裂。ほぼ1年をふいにした。2年目の2010年のシーズンのスタートも故障から始まった。この時、引退も考えるほど追い詰められていた。

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その後、登板場面は敗戦処理が多かった。しかしその与えられた仕事を確実に決めていき、投球内容は非常にレベルの高いものだった。安定した投球を続けていたことが、新しく監督に就任した監督の目に留まり暫定クローザーとして起用されることに。MLB歴代4位タイの32試合連続無四球を記録。四球1つあたりいくつ三振を奪ったかを示すK/BBはアメリカンリーグ全投手中最高の11.00を記録。非常に高い評価を得た。

そしてチャンピオン。さらなる進化へ。

そして今やレッドソックスの不動のクローザーとして活躍する上原投手。2013年シーズンは、見事ワールドチャンピオンとなり、胴上げ投手にもなった。39歳となった2014年シーズンも、活躍を続けた。

上原は毎日小さな目標を立てて球場に向かう。

「不安やプレッシャーは悪いものではない」
「不安があるからこそ、準備を怠りなくと思うことができる。」
「不安に押し潰されるのではなく、不安こそが自分を動かすエネルギーとなりえる」

マッサージなどの身体のケアを他のどの選手よりも入念に行い、ストイックな生活をおくる日々。彼の最も特筆すべき特徴であるその制球力奪三振が多く与四球が少ないピッチャーであるその秘訣はストイックさにあるのかもしれない。

「ケアを怠ることで怪我をして、後悔したくない」

それは、マウンドに上るまでの覚悟―。

雑草魂を糧に壁に挑み、克服してきた彼の戦いを応援したい。

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上原浩治:
1975年4月、大阪府生まれ。東海大学付属仰星高等学校卒業。

大阪体育大学3年時に日本代表に選ばれ、97年のインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会151連勝中だったキューバを相手に先発し、勝利投手となる。

98年、ドラフト1位で読売巨人軍に入団。1年目に、20勝。新人王と沢村賞を獲得。
2004年、アテネオリンピック野球日本代表に選ばれ、銅メダルを獲得。
2006年には、第1回WBC日本代表に選出され、初代王者に貢献。
2008年11月にFA宣言でのメジャー挑戦を表明し、翌年1月にボルチモア・オリオールズと契約。
2011年、テキサス・レンジャーズへ移籍。
2012年オフにFAとなり、ボストン・レッドソックス入り

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野球に関する様々な情報・意見を発信するサイトG-TIMESの編集長です。


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