今まで縫合された針は100以上!完全復活間近のヤクルト館山投手
- 2015/6/29
- プロ野球
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松坂の県内唯一のライバル
高校時代は日大藤沢高に在学し、同じ神奈川県の同期である横浜高校・松坂大輔と度々投げ合いを演じました。1997年秋の神奈川県大会決勝では0-9で横浜高校相手に完敗しますが、関東大会決勝で再び横浜高校の松坂と対戦し、延長10回まで投げ抜き0-1と、その後公式戦44連勝を果たす横浜高校相手に善戦します。
1998年、春のセンバツ甲子園に出場し、準決勝で現DeNAの久保康友投手擁する関大一高と対戦し、6回から3回無失点の好リリーフを見せるも3-5で敗戦。同年春の関東大会決勝で三度目の横浜高校・松坂との投げ合いを演じます。結局延長13回150球超を投げながらも、再び0-1で敗戦しました。夏の県大会はベスト4止まりで、夏の甲子園出場は結局果たせませんでしたが、後に松坂はこの試合を「ベストゲーム」に選んでいます。
その後、東都大学リーグの日大に進学し、現巨人の村田修一選手らと共にプレーします。2001年の3年時には、春季リーグ戦でエースとして活躍しチーム17季ぶりの優勝に貢献します。日本代表にも選ばれ、大学ワールドカップに出場。2002年にドラフト3巡目でヤクルトに指名され、入団しました。
プロ入り後はヤクルトのエースに
プロ入り後は1年目の2003年から1軍のマウンドに上がります。2008年から2012年まで5年連続で2桁勝利を上げ、2008年には最優秀勝率投手、2009年には最多勝利投手に輝くなどチームのエースとしての活躍を見せます。また、2009年には2008年8月からシーズンを跨いで自身の連勝を14に伸ばし、1957〜1958年の金田正一投手による球団記録を51年ぶりに更新しました。さらに、ヒーローインタビューなどでは必ずキャッチャーの名前を上げて感謝の意を伝えたり、自身の降板後に打ち込まれた中継ぎ投手をベンチで励ますなど、優れた人格者としても知られています。
活躍の一方では怪我との戦いの連続
大学4年の春に右肩棘上筋の部分断裂部によりクリーニング手術を受けたのを皮切りに、プロ入り2年目の2004年春には右肘の靭帯再建(トミー・ジョン手術)、翌2005年秋には右肘の神経移植手術を受けます。2011年、2012年と、チームはクライマックスシリーズに出場しました。2011年、シーズン中に右手指の血行障害が発覚し、故障を抱えながらも巨人とのCSファーストステージ第1戦に先発し、5回1失点。中日とのファイナルステージでは第2戦に8回からリリーフで登板して逃げ切り勝ちに貢献し、中2日で第5戦に先発しましたが、オフには右手指の血行を改善するため、指の両サイドを切り血管を圧迫していた筋肉の切除手術を受けました。
2012年は中日とのファーストステージ第2戦に先発。後がない中、6回無失点で1勝1敗のタイに持ち込みむなど大車輪の働きを見せます。館山投手の右腕はこの時既に限界に達していましたが、マウンドでは、そんなことをほとんど感じさせないような熱投を見せました。
翌2013年の開幕早々、投球中に右肘の違和感により降板。検査の結果右肘靭帯の再断裂が確認され再び右肘の靱帯再建手術を受けます。
さらに2014年4月、リハビリを経て順調な調整を見せていた矢先、二軍での試合時にまたも右肘の違和感のため緊急降板。検査の結果、3度目の右肘の靱帯断裂が確認されます。結局右肘外側滑膜ひだ切除手術を受け、同時に右肘の内側側幅靱帯再建と右前腕の屈筋腱縫合手術も受けます。
2年ぶりの一軍マウンドへ
このように、これまで幾度もの手術で合計100針以上を縫合している館山投手ですが、2013年の手術時には
「実は手術をする時は、気持ちがちょっとワクワクするんです」
「手術の痛みはあるかもしれないけど、それがとれれば、もう肩やひじで悩むことはない。だから、どうやって体をつくり上げていこうかと術後のことばかり考えています」
と復帰に向けて気持ちを前向きに切り替えて、リハビリに励んできました。
今期こそは故障からの復帰を目指す館山投手。4月29日のロッテとの二軍戦で実戦復帰し、二軍戦ではここまで7試合に登板して、2勝2敗、防御率2.84の成績を残しています。
先日一軍のマウンドに約2年ぶりに上がりましたが勝敗つかず。まだ完全復活とは言えないかもしれませんが、結果は非常に惜しいものでした。今後の館山投手の完全復活と呼べる活躍に期待しましょう!
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