あのマイケル・ジョーダンは実はメジャーリーガーだったかも? バスケットボールの神様の野球への挑戦

  • 2014/9/11
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バスケットボールの神様

NBAシカゴ・ブルズで6度の優勝。5度の年間MVP6度のNBAファイナルMVP。現役時代から圧倒的な実力と人気を誇り、引退後も「バスケットボールの神様」と称えられているマイケル・ジョーダン選手。実は、ジョーダン選手は現役生活の途中で、一度メジャーリーグの世界に挑戦しているのです。「バスケットボールの神様」の野球の実力は、どうだったのでしょうか?


もう一つの夢を追って

シカゴ・ブルズのエースとして最初の3連覇を果たした1993年のオフ、ジョーダン選手は突然の現役引退を発表しました。世界中の驚きが驚きを隠せぬ中、MLBへの挑戦を決意し、シカゴ・ホワイトソックス傘下のAAマイナーチーム、バーミンガム・バロンズに入団します。1993年夏にジョーダン選手は不慮の死で父親を亡くしていました。様々な憶測が飛び交いましたが、突然の引退と野球選手への転身の理由は、その父親に勧められていた、「野球選手になる」というもう一つの夢を叶えるためだとも言われています。


 

その成績は?

初めての野球選手としてのシーズン、ジョーダン外野手はとして127試合に出場します。

  • 打率.202 (436打数88安打)
  • 3本塁打
  • 51打点
  • 30盗塁
  • 三振114

やや打撃の荒さは目立つものの、チーム4位の打点数をマークします。また、30盗塁と言う数字に、やはりずば抜けた運動能力の高さがうかがえます。1年目としては立派に戦力になっており、その秋のリーグ戦では打率.252をマークし、翌年のAAA昇格も決まっていたそうです。


「I’m back」

しかし、MLBのストライキや球団とのトラブルをきっかけ、ジョーダンはNBA復帰を決意します。その後のNBAでの活躍は言うまではないでしょう。久々にコートに戻っても彼は、再び「バスケットボールの神様」として君臨しました。

「あと2シーズンほしかった」

野球選手への挑戦に関して、こう語ったそうです。野球への挑戦に周囲の批判の声もある中で、必死に努力し、徐々に結果も出し始めていたジョーダン選手。もしあと数年、野球選手としてプレーしていたらどうなっていたでしょうか。

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吉田 将来

投稿者プロフィール

GiGAthlete inc. Marketing

2006年夏の甲子園決勝再試合。
斎藤佑樹投手に憧れ、早稲田実業硬式野球部に入部。
2年秋からマネージャー兼助監督

大学1年時から株式会社ギガスリートにインターンとしてジョイン。
草野球リーグG-LEAGUEの飛び込みグラウンド営業や、
野球特化メディアの運用・記事執筆を担当。

大学卒業後、ギガスリートに新卒入社。

現在は、ビヨンドマックス ホームラン競争 企画・動画制作も行なっています。

Twitterでは、野球に関する様々な情報・意見もつぶやいています!
https://twitter.com/my_fyutya
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