野球選手の固い絆!涙なしには語れない感動エピソード
- 2014/10/2
- プロ野球
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チームメイトは仲間でもありライバルでもある
共にチームが辛い時、嬉しい時を乗り越えた絆は強いものがあります!今回はそんな感動エピソードを紹介します!
松井秀喜・村田善
松井選手と村田選手は、巨人の同期入団。新人選手は、試合後の掃除番や電話番がありますが、村田選手は松井選手の番も自ら変わり、少しでも練習する時間を増やすように薦めました。
村田選手曰く、
「世間がお前を注目しているんだから早く一軍で活躍しろ」
ということでした。松井選手が日本を代表とする選手になれたのは、チームメイトの支えがあったからかもしれません。
谷佳知・木村拓也
2010年、木村拓也コーチの追悼試合の広島vs巨人戦、谷選手の代打逆転満塁ホームランで試合が決まりました。2人は同級生であり、アテネ五輪で一緒に日本代表に、そして共にトレードでジャイアンツに。
谷選手は、ヒーローインタビューで
「拓也とはずっと同級生で、いつもいつも励まし合って、プロでずっとやってきたんですけど・・・。先に逝かれて本当に悲しくて、いつも泣かないでおこうと思っていたんですけど、涙が全然止まらなくて、なんとか今日の試合は勝ちたいと思って臨みました。」
と声を詰まらせながら語っていました。
西岡剛・マートン
2014年開幕戦、西岡選手はフライの取る際に福留選手と衝突事故。その場で意識を失い、球場は騒然となりました。そんな西岡選手の救助の時に、最後までそばにいて手を組み祈っていたのはマートン選手でした。阪神打線を引っ張る二人、普段から仲が良く、打席に入っている時に、ベンチから大声で相手の名前を叫んで応援合戦をしていたそうです。
その後の試合で、マートン選手は
「西岡サン イナイ サミシイ。アイシテイルヨ」
とエールを送っていました。
村田兆治・袴田英利
今でも名バッテリーを語られる両選手。当時ずっとバッテリーを組んでいた袴田選手は、村田選手と同時期に引退を決意していました。しかし、袴田さんはその当時2軍。その袴田さんを村田選手は、引退試合のキャッチャーに指名しました。
袴田選手は、
「兆治さんの球を受けて辞められるならこれ以上のことはない」
と語り、
村田選手も
「お前とじゃなきゃ辞められないんだ」
と話していたそうです。
いかがだったでしょうか?
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