超遅咲き?!40代で二桁勝利6回のジェイミー・モイヤーについて調べてみた
- 2016/4/20
- メジャーリーグ
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49歳151日でメジャー勝利投手に
2015年シーズンの日本プロ野球界で目立ったのが大物選手の現役引退。その中の一人が中日一筋32年、通算219勝を挙げてユニフォームを脱いだ山本昌選手です。
プロ入り4年目まで未勝利ながら1988年のアメリカ留学を機に才能を開花し、沢村賞を始めとして数々の記録を残しNPB最年長記録となる、50歳までプレーを続けました。
一方、アメリカメジャーリーグを見てみると、山本昌選手と肩を並べる最年長投手が存在したことを覚えているでしょうか。1985年から2012年までアメリカでプレーし、49歳まで現役を続けたジェイミー・モイヤー選手です。
球団を転々とした不遇の時代、29歳でコーチ転身を打診も拒否
モイヤー選手がプロ入りしたのは1985年、山本昌選手がプロ入りしてから1年後のことでした。シカゴ・カブスに入団し、1986年に初のメジャー昇格を果たすと、翌1987年シーズンには12勝を挙げました。
順調にメジャーでのキャリアを築いていくかに見えたモイヤー選手ですが、ここから苦難のシーズンが続きます。1988年にテキサス・レンジャーズへトレードされましたが、2年後の1990シーズン後に解雇。
1991年シーズンにはカージナルスと契約しましたが再び解雇され、1992年に古巣のカブスへ復帰を果たすものの左肘を故障し、三度目の解雇通告を受けました。
君だったら優秀なコーチになれる。選手を引退して、マイナーの投手コーチをやらないか?
29歳を迎えていた当時、カブスのファーム・ディレクターからこのようなオファーを受けましたが、モイヤー選手はこれを拒否、その後も球団を転々と移り変わるシーズンが続きます。
マリナーズ移籍で才能が開花、2001年にはイチローらと地区優勝の原動力に
そんなモイヤー選手の転機は1996年のシアトル・マリナーズへの移籍でした。34歳を迎えるシーズンでの移籍であり、野球選手としては既にベテランと呼ばれる年齢に差し掛かっていました。
しかし、当時マリナーズのエース左腕であった豪腕・ランディ・ジョンソン選手に出会い、技巧派投手として生きることを決断。1997年シーズンに17勝を挙げると、イチロー選手、佐々木主浩選手も所属した2001年シーズンには38歳で自身初の20勝を挙げ地区優勝に貢献しました。
2003年シーズンにも40歳で21勝を挙げるなど、フィリーズへ移籍する2006年シーズンまで11シーズンでマリナーズ史上最多の145勝を挙げ、メジャーを代表するサウスポーの仲間入りを果たしました。
トミー・ジョン手術を経験も見事復活、49歳でメジャー最年長勝利投手に
2006年シーズン途中にフィリーズへ移籍すると44歳を迎えた翌2007年シーズンから三年連続二桁勝利を果たし、史上6人目となるメジャー30球団から勝利を記録しました。
2010年シーズン後に参加したウィンターリーグで左肘を負傷し選手生命を脅かされます。
We are cautiously optimistic superman will make a comeback!(スーパーマンはカムバックする!)
しかし、モイヤー選手は自身が残したこのコメント通りにリハビリに励み、2012年シーズンに開幕ローテーション投手として復帰、4月17日のパドレス戦で勝利投手となり、メジャー史上最年長勝利投手記録を更新し、翌2013年シーズンを持って現役を引退しました。
2015年にマリナーズ殿堂入り
現役引退から2年が経過した2015年、モイヤー選手はマリナーズの栄誉の殿堂入りを果たしました。マリナーズでの145勝を含むメジャー通算269勝を挙げたモイヤー選手。ストレートの最速は130キロながら多彩な変化球と制球を武器に49歳まで白星を積み重ねました。
メジャー通算24年(1986年~2012年)
696試合 269勝 209敗 防御率4.25
30代後半にキャリアの全盛期を迎えた彼の異例のキャリアは、メジャー史上に残る一ページに数えられていくことでしょう。
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