『JFK』から『SBM48』まで!?プロ野球史に残る『勝利の方程式』5選
- 2016/2/8
- プロ野球
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「勝利の方程式」生みの親は長嶋監督!?
リードしている試合を中継ぎ投手、抑え投手による継投逃げ切るというこの手法が本格的に用いられたのは1990年代に入ってからと言われています。
1993年、1994年シーズン、当時巨人を率いていた長嶋茂雄監督が橋本清選手から石毛博史選手へ繋ぐリレーのことを「勝利の方程式」と呼んだことがキッカケで野球界に広まっていきました。
この言葉の誕生により、先発投手、中継ぎ投手、抑え投手といういわゆる「投手分業制」という野球スタイルがより顕著になりました。そこで今回は、近年のプロ野球史に残る勝利の方程式を選んでみました。
ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之(阪神:2005~2008)
プロ野球史に残る勝利の方程式と言えば、2000年代の阪神タイガースの躍進を支えた『JFK』でしょう。当時の岡田彰布監督によって確立されたこの継投は「先発完投至上主義」とも言われた従来のプロ野球界の常識を覆し、その後のプロ野球界に多大なる影響をもたらしました。
「阪神のやっていることはある意味、野球の神髄。近代野球の新しいスタイルだね。野球はいつから6イニング制になったんだ?」
当時、楽天イーグルスを率いていた野村克也監督はJFKに対してこのようなコメントを残しています。阪神がリーグ優勝を成し遂げた2005年シーズン、3選手が登板した試合は39勝6敗4分け、勝率は脅威の.796を誇りました。
薮田安彦、藤田宗一、小林雅英(ロッテ:2005~2007)
2005年にパ・リーグ優勝、31年振りの日本一を成し遂げたロッテ投手陣を支えたのが、薮田選手、藤田選手、小林雅英選手による『YFK』でした。
3選手はロッテだけでなく日本を代表する中継ぎ、抑え選手に成長し、小林選手は2004年のアテネ・オリンピック日本代表に選ばれ、薮田選手、藤田選手は2006年に行われたWBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表の優勝メンバーに名を連ねるなど一時代を築きました。
攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩、甲藤啓介(ソフトバンク:2009~2010)
2009年から王貞治前監督に変わって就任した秋山幸二監督政権下のソフトバンクを支えたのが摂津選手、ファルケンボーグ選手、馬原選手による投手リレー。
親会社、ソフトバンクの姉妹会社である「ソフトバンクモバイル」にあやかり『SBM』という名称で定着しました。
2010年シーズンに5年目の甲藤啓介選手が一軍に定着すると、当時の甲藤選手の背番号が48番であったことから、人気アイドルグループAKB48にあやかり、『SBM48』と呼ばれました。
高橋聡文、浅尾拓也、岩瀬仁紀(中日:2010)
2010年シーズンに優勝を果たした中日ドラゴンズを支えたのが高橋選手(現阪神)、浅尾選手、岩瀬選手により形成された『TAI』。
岩瀬選手は42セーブを挙げ自身4回目の最多セーブに輝くと、浅尾選手は72試合に登板し、NPB新記録となる47ホールドを挙げる大車輪の活躍をみせ、翌2011年シーズンには中継ぎ投手ながらリーグMVP、ゴールデングラブに輝くなど飛躍のキッカケとなるシーズンになりました。
山口鉄也、スコット・マシソン、西村健太朗(巨人:2012~2013)
2012年から2014年にかけてセ・リーグ3連覇を成し遂げた巨人においてチームの屋台骨となる活躍を見せたのが山口選手、マシソン選手、西村選手による投手リレーでした。
2012年シーズン、山口選手はリーグ最多となる44ホールドを挙げ最優秀中継ぎ投手に輝くと、西村選手は岩瀬選手(中日)、バーネット選手(現レンジャーズ、当時ヤクルト)に次ぐ32セーブを挙げました。
「勝利の方程式」形成は優勝の必須条件!?
以上の5チームの勝利の方程式を挙げてきました。5つに共通しているのは、リーグ優勝、日本一争いに絡んでいるチームであるということです。2015年シーズンにセ・リーグを制覇したヤクルト・スワローズも、ロマン選手、オンドルセク選手、バーネット選手という3人の外国人リリーフ投手がヤクルト投手陣を支えました。近代野球において「勝利の方程式」の確立は、チームが優勝するためには欠かせない要素と言えるのかもしれません。
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