甲子園『春夏連覇』を達成した優勝投手たちのプロ入り後を調べてみた!
春夏連覇高校は過去7校
春の選抜高校野球は智辯学園(奈良県)が神宮王者の高松商(香川県)を下し初優勝を達成しました。この優勝で史上8校目の春夏連覇を目指せる権利を手にしました。これまで春夏連覇を成し遂げた高校には、今回は、過去の甲子園春夏連覇校と、優勝投手を見ていきたいと思います。
1962年 作新学院:八木沢荘六
- 甲子園 3勝0敗
- プロ 394試合71勝66敗8S
1962年 作新学院:加藤斌
- 甲子園 6勝0敗
- プロ 35試合3勝4敗
1966年 中京商:加藤英夫
- 甲子園 10勝0敗
- プロ 101試合2勝9敗3S
1979年 箕島:石井毅
- 甲子園 14勝1敗
- プロ 85試合8勝4敗4S
1987年 PL学園:桑田真澄
- 甲子園 20勝3敗
- プロ 442試合173勝141敗
- メジャー 19試合0勝1敗3H
1998年 横浜:松坂大輔
- 甲子園 11勝0敗
- プロ 204試合108勝60敗1S
- メジャー 158試合56勝43敗1S3H
2010年 興南:島袋洋奨
- 甲子園 11勝2敗
- プロ 1試合0勝0敗
2012年 大阪桐蔭:藤浪晋太郎
- 甲子園 8勝0敗
- プロ 77試合35勝21敗
- ※成績は2015年末現在
春の大会が88回、夏の大会が今年で98回目となっています。優勝投手は、全員プロ入りを果たしています。その中から、今回は3投手ご紹介します。
伝説の試合を制した箕島のエースは”石井毅”
1979年の夏の甲子園で未だなお「史上最高の試合」と評されることもある箕島対星陵。延長18回の死闘を1人で投げ抜き、その勢いのまま夏の甲子園を制し、史上3校目の春夏連覇を達成します。石井はその後社会人を経由して、西武ライオンズに入団します。石井とバッテリーを組んでいた嶋田宗彦も、石井と同じく社会人を経由して阪神タイガースに入団します。1985年の日本シリーズで箕島の先輩にあたる東尾投手(西武ライオンズ)から本塁打を放ち、日本一に貢献しています。この日本シリーズでは石井投手も第5戦に投げていますが、嶋田選手との対戦はありませんでした。
「加藤英」対決を制したのは中京商の加藤英夫!
1966年の選抜甲子園1回戦で、中京商はPL学園と対戦します。中京商先発はエースの加藤英夫投手、そしてPL学園の先発は後に近鉄バファローズに入団する加藤英治投手(かとうえいじ)という「加藤英」対決となりました。PL学園の「加藤英」投手というと名球会入りの加藤英投手を思い浮かべますが別人です。名球会に入った加藤秀司投手(かとうひでじ)は加藤英司投手と改名したため混同する人も多いようです。中京商の加藤英夫投手は選抜大会、夏の選手権大会を全て完投勝利で飾り、作新学院以来2校目の春夏連覇を達成します。プロ野球では近鉄バファローズに入団し主に中継ぎとしてチームを支えます。現在は、中京商同期の平林二郎監督のもとで名古屋経済大学で野球部のコーチを行っています。後進の育成に期待したいところです。
病に泣いた八木沢荘六の後を継いだのは加藤斌
1962年選抜高校野球で優勝投手になった作新学院の八木沢荘六投手は、夏の選手権大会もエース投手として挑むはずでした。しかし、大会直前に赤痢菌が検出され、甲子園のマウンドに立つことは出来ませんでした。そのため、作新学院は控え投手だった加藤斌投手で甲子園に挑みます。加藤は急遽エースになったにも関わらず、順調に勝ち上がり史上初の春夏連覇を果たします。この優勝投手という栄冠を手に入れたことで加藤投手のもとにもプロ野球のオファーが来ることになりました。加藤投手は中日ドラゴンズへ、八木沢投手は早稲田大学を経由してロッテに入団します。八木沢はその後完全試合を達成するなど球界に足跡を残し、コーチとしても球界に長く携わってきました。現在は日本プロ野球OBクラブの理事長職に就いています。
夏の甲子園大会は春以上に過酷です。気温も30度を超え甲子園の魔物も容赦なく襲ってきます。春の優勝校は否が応でもマークもきついので地区予選から気が抜けません。この試練を乗り越えて智辯学園は史上8校目の春夏連覇を達成できるのでしょうか?今から楽しみです。
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