個性派赤ヘル戦士!カープ黄金期を支えた70~80年代の名選手達

  • 2016/5/26
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赤ヘルの歴史を振り返る

球団創設から66年。セ・リーグでは優勝から一番遠ざかっているチームです。しかし、2013・2014年は2年連続のCSシリーズに進出。徐々に往年の強さが戻りつつあり、「カープ女子」「男気黒田」と広島から全国へ人気が拡大する流れも生み出しています。今回は「赤ヘル黄金期」と呼ばれるのカープを彩った選手を紹介します。

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91年の優勝に貢献した天才打者 西田真二 (1983年〜1995年)

1982年に入団。守備にやや難があった為、引退するまでの13年間ほとんど代打として活躍します。1991年には優勝を決める決勝タイムリー放つなど勝負強さを発揮しました。
ルーキーイヤーから代打で4連続ホームランのセ・リーグ記録を持ち、先輩である達川光男氏曰く

前田は努力の天才だが、西田は生まれつきの天才。だから努力したらつぶれるんですよ。

と言わしめ、カープOBの選手は

西田選手は代打の準備中、全く素振りをしていないのにヒットを打っていた。

というエピソードもあります。
現在は、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズで監督を務め実に18人もの選手をプロ野球に輩出し指導者として高い評価を得ています。

 

「赤ヘル野球の体現者」 山崎隆造 (1977年〜1993年)

西田真二選手と共にレギュラーを争ったのが山崎隆造選手でした。「赤ヘル野球」が掲げる「攻撃的に守り、出塁したら積極的に走る。」を体現する様に1984年からは3年連続の打率3割を記録し、3度のベストナイン、ゴールデングローブ賞も4度受賞します。1981年のオープン戦で打球を追う際に大怪我を負うも、翌年には復活して生涯で203個の盗塁を決めるました。まさに走攻守三拍子揃った選手として現役生活を終えました。

現在は解説者を務めるかたわら、広島東洋カープジュニアチームの監督を務め後進の指導にあたっています。

 

初V選手から整形外科医に転身 ゲイル・ホプキンス (1975年〜1976年)

1975年、メジャーリーグより移籍して130試合に出場し打率236 ホームラン33本 打点91と1975年の初優勝に大きく貢献しました。「医師として社会に貢献したい」という強い信念から、シーズンオフの時にはイリノイ工科大学で生物学の博士号を取得。更に引退した1977年には、シカゴのラッシュ医科大学院にて勉強を重ね、整形外科医となり異色のセカンドキャリアを積みました。試合中に医学書を読みあさるというエピソードもあるほどです。2013年には広島市で開かれた日本整形外科学会で講演し、

医療は常に変化しているので新しい技術を学び吸収して欲しい。それが患者の為にもなる。

と医師を目指す学生にエールを送りました。

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初のAクラス入りに貢献。3度のノーヒットノーラン・沢村賞受賞 外木場善郎(1965年〜1979年)

タイガースの村山実投手のファンという事を公言し、タイガースへの入団を希望するもタイガースからの誘いはな4球団競合の末、1965年カープに入団。1965年にはその憧れの村山実投手と投げ合いノーヒットノーランでプロ初勝利を飾りました。1968年には21勝を挙げて、チーム初のAクラス入りに大きく貢献し、1975年には20勝を挙げ初のリーグ優勝をチームにもたらして、個人では最多勝、最多奪三振、沢村賞と数多くのタイトルを獲得しました。

直球とカーブの2つだけの球種に全てをかけた野球人生だった。

と本人も振り返っています。

 

沖縄県出身の初のプロ野球選手 安仁屋宗八(1965年〜1979年)

外木場善郎投手と共にカープ投手陣の双璧となり初のAクラス、初優勝に貢献。サイドスローから投じるシュート、カーブ、スライダーを武器に119勝を挙げました。また、沖縄県出身の初のプロ野球選手として注目されました。当時はアメリカの統治下だった事もあり、本土に渡るにはパスポートが必要でした。自身も

沖縄出身の後輩達が出るまでは頑張ろうという思いで投げ続けました。

と語っています。くしくも沖縄も広島も戦争によって深い苦しみを抱えた街。

こうして野球に携わる事が出来たのも今の平和があったからこそ。平和が守られてこそスポーツが出来る事を絶対に忘れたはいけない。

と続けました。

 

今や人気は全国区!

リーグ優勝から25年遠ざかりながらも、若い選手の成長もありチームは活気づいています。人気は地元広島だけに収まらず全国に広がっています。12球団でも珍しい市民球団。往年の選手も引退後も「広島愛」を貫いて、地元放送局での解説や球団でコーチをしてチームに貢献しています。これからどんな個性派赤ヘル戦士が活躍し、優勝へと導いてくれるのか、注目しましょう!

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菊池博文信州スポーツ追っかけ隊

投稿者プロフィール

1980年11月1日生まれ
「信州スポーツ追っかけ隊」として活動。

ラジオ:FMさくだいら(76.5MHz)
「スポーツノーリミット」コメンテーター
高校野球特別番組「リミットブレイク」ナビゲーター
ライター実績:長野県野球専門誌「ninse」
長野県スポーツ専門誌「Nsports」
Jリーグ公式ファンサイト「JsGoAL」
サッカー専門新聞「エルゴラッソ」

誰が聞いても、読んでも分かりやすくスポーツを伝えたい。


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