『最後の300勝投手』から『ミスターフルスイング』まで!近鉄バファローズ・6人の名選手
- 2016/3/14
- プロ野球
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ナニワが生んだ個性派軍団
1949年に「近鉄パールス」の名前で結成され、2004年まで存在したのが「近鉄バファローズ」です。阪神タイガース、南海ホークス、阪急ブレーブスと並ぶ関西の名物球団として知られました。
個性派集団として知られ野球ファンの記憶に残る名選手、名シーンが誕生している球団です。そこで今回は、近鉄バファローズが生んだ名物選手を紹介したいと思います。
最後の300勝投手:鈴木啓示
主な実績・タイトル
- 最多勝利(1969年、1977年~1978年)
- 最高勝率(1975年)
- 最優秀防御率(1978年)
- 最多奪三振(1967年~1972年、1974年、1978年)
- 野球殿堂競技者表彰(2002年)
プロ野球史上4位となる通算317勝を挙げました。鈴木選手が300勝を達成した1984年以降、300勝投手は現れておらず、200勝投手も中々現れにくい現状の野球界を考えると、「プロ野球最後の300勝投手」と呼べるかもしれません。
一方、被本塁打は560本で、これは2位の山田久志選手(阪急ブレーブス)を大きく引き離し、メジャー・リーグを含めてもジェイミー・モイヤー選手の511本を大きく引き離す歴代1位の記録です。
「男の勲章だと思っている。どんな強打者からも逃げずに勝負した結果。560本も打たれるまで使ってもらえる投手は他にいない」
鈴木選手はこの記録に対してこのようにコメントしています。鈴木選手の負けん気の強さを表したコメントです。
大記録ストッパー:大石大二郎
主な実績・タイトル
- 新人王(1982年)
- 盗塁王(1983年~1984年、1987年、1993年)
- ベストナイン(1983年~1984年、1990年)
- ダイヤモンドグラブ(1982年~1984年)
「大ちゃん」愛称で親しまれ、いてまえ打線不動のトップバッターとして活躍。入団2年目に二塁手のレギュラーを獲得し、3年目には盗塁王を獲得し、13年連続盗塁王を記録していた福本豊選手(阪急ブレーブス)の記録をストップさせました。
また、1984年のオールスターゲーム、第3戦では9連続奪三振を目指し、8連続奪三振絵お記録していた江川卓選手(巨人)からセカンドゴロをうち記録をストップさせた打者でもあります。
現役引退後は解説者・コーチを経て、2008年~2009年シーズンにオリックス・バファローズの監督を務めました。
赤鬼:チャーリー・マニエル
主な実績・タイトル
- 最優秀選手(1979年)
- 本塁打王(1979年~1980年)
- 打点王(1980年)
- ベストナイン(1978年~1980年)
※1978年はヤクルトで受賞
持ち前の強打と興奮しやすい性格から「赤鬼」の異名を取った近鉄バファローズ史に残る外国人助っ人。
ヤクルトで3シーズン過ごした後1979年に近鉄へトレードで加入すると、故障により97試合の出場ながら37本で本塁打王を獲得し、近鉄史上初のリーグ優勝に貢献しMVPを獲得しました。
現役引退後はメジャー・リーグでコーチを経験後、インディアンス、フィリーズの二球団で監督を務め、2008年には岩村明憲選手(元レイズ、現福島ホープス)を擁したレイズを下しワールドチャンピオンに導きました。
パのリリーフエース:赤堀元之
主な実績・タイトル
- 最優秀防御率(1992年)
- 最優秀救援投手(1992年~1994年、1996年、1997年)
1990年代のパ・リーグを代表するリリーフエース。150キロの速球とスライダーとシュートを武器に5回の最優秀救援投手に輝きました。
1992年シーズンには抑え・先発として大車輪の活躍を見せ、11勝4敗22セーブ、防御率1.80の成績で、最優秀救援投手と最優秀防御率をダブルで受賞しました。
オリックス、韓国プロ野球・SKワイバーンズでコーチを務めた後、2015年からは独立リーグ・BCリーグの新潟アルビレックスBCで監督を務めています。
怒りのスラッガー:ラルフ・ブライアント
主な実績・タイトル
- 最優秀選手(1989年)
- 本塁打王(1989年、1993年~1994年)
- 打点王(1993年)
- ベストナイン(1989年、1993年~1994年)
マニエル選手、タフィー・ローズ選手などと並ぶ近鉄バファローズ史に残る外国人スラッガー。1988年シーズンに中日から金銭トレードで加入すると、74試合出場ながら打率.307、34本塁打を放ちました。
1989年10月12日に行われた西武ライオンズとのダブルヘッダーでは2試合に渡り、4打席連続本塁打を放つなど、リーグ優勝に大きく貢献し、リーグMVPを獲得しました。
1990年6月6日に行われた日本ハム戦では東京ドームの天井に打球を当て、認定本塁打を記録するなどその規格外のパワーは、野球ファンの記憶に残っているでしょう。
ミスターフルスイング:中村紀洋
主な実績・タイトル
- 本塁打王(2000年)
- 打点王(2000年~2001年)
- 最高出塁率(2001年)
- ベストナイン(1996年、1999年~2002年)
- ゴールデングラブ(1999年~2002年、2004年、2007年、2008年)
※2007年、2008年は中日で受賞
「ミスターフルスイング」の異名を取り、いてまえ打線の主軸として活躍した和製大砲。独特の神主打法で本塁打を量産しました。
2001年シーズンには3番ローズ選手と中心になり強力打線を形成し、打率.320、46本塁打、132打点を記録、101本塁打(ローズ選手55本、中村選手46本)のコンビは1985年の阪神タイガースが記録した94本塁打(バース選手54本、掛布選手40本)の記録を更新しました。
また、打撃だけでなく守備の名手としても知られ、通算7回のゴールデングラブ賞を獲得。これは三塁手としては史上最多の受賞回数となっています。
あのメジャーリーガーも近鉄出身
他にもトルネード投法で野球界を席巻した野茂英雄選手や、現在はシアトル・マリナーズに所属する岩隈久志選手などのメジャーリーガーも近鉄からは誕生しています。
チーム自体は2004年で無くなってしまいましたが、彼らのような名選手と共に『近鉄バファローズ』の存在はプロ野球ファンの記憶に残り続けていくことでしょう。
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