野球&アメフトの夢を実現した伝説の男!『マルチアスリート』ボー・ジャクソンの軌跡

  • 2016/2/1
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二足のわらじを履いた『二刀流アスリート』

近年のプロ野球界において一つのキーワードとなっている『二刀流』。日本ハムファイターズの大谷翔平選手が投手と野手の二つに同時に挑戦したことからクローズアップされました。2014年シーズンには野球界では『野球の神様』ことベーブ・ルースが1918年に達成して以来96年ぶりとなる『シーズン二桁勝利、二桁本塁打』を記録し、日本プロ野球界に新たな一ページを加えました。

しかし、かつて野球界には彼ら二人を凌ぐほどの『二刀流選手』が存在していたことをご存知でしょうか。北米四大スポーツのうちの二つ、野球・MLB(メジャーリーグベースボール)とアメリカンフットボール・NFL(ナショナルフットボール・リーグ)でプレーしたボー・ジャクソン選手です。

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野球をする傍らアメフトで数々のタイトルを受賞した学生時代

ジャクソン選手は学生時代から野球をする傍ら、アメリカンフットボールのランニングバックとして活躍しマルチアスリートとしてのキャリアを積んでいきます。オーバーン大学に在学中の1984年にはアメフト選手として、大学最優秀選手賞に当たる『ハイズマン賞』を獲得し、シュガーボール(※)のMVPに輝くなど頭角を現し、野球を選ぶのか、アメフトを選ぶのかその去就が注目を集めました。

※年一回、通常1月1日に、アメリカ・ルイジニア州ニューオーリンズで行われるカレッジフットボールのボウル・ゲーム。

 

MLB、NFLでドラフト指名!『マルチアスリート』の誕生

1986年に行われたMLBドラフト会議でカンザスシティ・ロイヤルズからドラフト4巡目で、またNFLドラフト会議ではタンパベイ・バッカニアーズから1巡目でそれぞれ指名を受けます。「選手寿命の長い野球をやってほしい」という母親からの説得もあり、ロイヤルズに入団。ルーキーシーズンからメジャーの昇格し、1987年シーズンにはメジャーで開幕を迎え、野球選手としてのキャリアを本格的にスタートさせていきます。

迎えた1987年シーズン。116試合に出場し、本塁打22、打点53、盗塁10を記録しました。

そして、前年に引き続きNFLドラフト会議では7巡目でロサンゼルス・レイダースから指名を受けると7月に契約を交わし、野球とアメフトを兼業するという『マルチアスリート』が誕生しました。

1987年シーズンからの四年間は、メジャー・リーグのシーズンが行われる9月まではロイヤルズの一員としてプレーし、「フットボールは釣りや狩猟のように、野球シーズンが終わった後の趣味です」と語っていたように、10月以降のシーズンをアメフト選手としてレイダースでプレーをしました。

 

史上唯一のMLBオールスター、NFLプロボウル選出

野球選手としては1987年シーズンから四年連続20本以上の本塁打を放つなど、強打の外野手として活躍しました。また、持ち前の強肩とスピードを活かした守備力も魅力で、数々のファインプレーで観客を魅了しました。

キャリアハイのシーズン32本塁打を記録した1989年には、ファン投票で最多得票を集めて、MLBのオールスターに出場を果たしました。1番バッターとして出場したオールスターでは、先頭打者本塁打を放つなど活躍し、見事MVPを獲得しました。

4年間プレーしたNFLの選手としても、全てのシーズンで途中から出場というハンデを背負いながらも、通算2782ヤードを記録しました。1990年にはアメフト界のオールスターに当たる『プロボウル』に選出され、MLBオールスター、NFLプロボウルに出場した初めての選手になりました。

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晩年は怪我に泣かされ、1994年に現役引退

しかし、1990年以降はMLBとNFLの兼業という無理が祟ってか、故障に悩まされることになります。NFLでプレーしていた1991年シーズンの1月に臀部を負傷し、股関節を脱臼するというアクシデントに見舞われ、同年3月に所属するレイダースから解雇通告を受け、NFLからの引退を決断しました。

1991年にシカゴ・ホワイトソックスに移籍しましたが故障の影響もあり、わずか23試合の出場に留まり、翌1992年シーズンは一試合もMLBでプレーすることはありませんでした。1993年シーズンに83試合に出場して16本塁打を記録するなど復活を果たし、カムバック賞を受賞し、1994年シーズンにFAでカリフォルニア・エンゼルス(現アナハイム・エンゼルス)へ移籍しましたが同年をもって8年間に渡るMLB選手としてのキャリアにも終止符を打ちました。

 

引退から20年を迎えた今も尚色褪せないその功績

MLB選手NFL選手という二足のわらじを履きながら、両競技でオールスターゲームに出場するという快挙を成し遂げたボー・ジャクソン選手の功績は、「怪我さえなければ両競技で殿堂入りを十分狙えた」と声が上がるほど21世紀を迎えた現在も高く評価されています。二つの競技でプロ選手として結果を残したボー・ジャクソンという男の足跡はこれから先も語り継がれていくことでしょう。

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井本 佳孝

投稿者プロフィール

兵庫県生まれ愛知県出身/AB型/
【好きなチーム】
阪神タイガース
ニューヨーク・ヤンキース

【得意ジャンル】
プロ野球
MLB

【ライター実績】
『サッカーキング・フリー』原稿執筆
『サッカーキング・オピニオン』ライター
無料歌詞検索サイト『Utaten』コラム執筆


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