『メジャーに最も近い男』と言われた、元ホークス・秋山幸二監督の現役時代
- 2014/10/3
- プロ野球
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「幸せです」
2014年、オリックス・バファローズとの熾烈な首位争いを制し、リーグ優勝を果たした福岡ソフトバンクホークス。そのホークスを率いる秋山幸二監督は現役時代も「優勝請負人」として、ライオンズとホークスを頂点に導きました。まだ現役時代の面影も残る51歳の優勝監督の現役時代を振り返ってみました!
「メジャーに最も近い男」と呼ばれた身体能力
秋山幸二選手は、ともに陸上選手であった両親から授かった恵まれた体格と身体能力を持ち、入団当初から大きな期待をされていました。50m走5秒台の俊足、遠投120mの強肩、185cmの背丈から生み出すパワー、そしてその大きな身体でバック宙をこなしてしまうほどの運動神経は、歴代の多くのプロ野球選手の中でもトップレベルでした。1軍定着前の3度のアメリカでの野球留学や、その後の日米野球での活躍により、野球関係者からは「メジャーに最も近い男」と称されていました。また、当時の西武のチームメイトであった清原和博選手は、
「自分は日本専門の選手だけど、秋山さんならメジャーでも通用する」
と語ったそうです。
才能開花〜西武の黄金時代を支えた清原とのAK砲
その才能を開花させたのは、1985年のことでした。サードのレギュラーとして初めて全試合出場すると、23歳の若さにして40本塁打を記録。1989年には打率.301、31本塁打、31盗塁で史上5人目のトリプルスリー、その翌年には史上初の30本塁打・50盗塁という快挙を成し遂げます。外野手にコンバートされた1987年から、10年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、走攻守の三拍子揃ったトッププレーヤーへの道を駆け上がりました。清原選手との強力な3、4番コンビはAK砲と呼ばれ、3年連続の日本一にも大きく貢献しました。
また、1986年の日本シリーズ第8戦でホームランを放った後に見せた「バック宙ホームイン」というド派手なパフォーマンスは、当時の野球ファンを大いに沸かせました。
初代主将としてホークス初優勝に導く
1993年、常勝球団であった西武ライオンズから、当時低迷していた福岡ダイエーホークスに移籍します。移籍直後は厳しいシーズンを過ごしますが、
「(秋山選手は)常にプロ意識を持っていた。『できないのは選手が悪い、プロならできて当たり前』という考え方。決して『人間ならそのくらいにミスはあるさ』といった姿勢がみられない。言い訳をしない。その姿勢と意識の高さを学んできた。」
と小久保裕紀選手が語るように、その後のホークスを支える選手たちの成長をリードしていきます。そして、ダイエーの初代主将を任された1999年には、初優勝・日本一を成し遂げました。何本もの先頭打者ホームラン、顔面骨折直後の試合で強行出場、日本シリーズでのライトフェンスを駆け上がり大飛球を捕るという超ファインプレー。様々なプレーとその野球への姿勢で、チームを鼓舞していきました。
9年連続30本塁打、2000年の自身通算2000試合目で2000本安打、18年連続オールスター出場、ライオンズとホークスそれぞれで日本シリーズMVP。華やかな実績を残し、2002年に現役を引退した秋山選手。多くのプロ野球ファンから愛され、球界の宝として敬われる選手になるためにはどうあるべきかを、私たちに示してくれました。
2014年には、元メジャーリーガーである佐々木主浩氏、野茂英雄氏とともに、殿堂入りも果たしました。
監督として3度目のリーグ優勝を果たした2014年。クライマックスシリーズ、日本シリーズと勝ち抜き、監督就任2度目の日本一に輝くことが出来るのか。そして、福岡ソフトバンクホークスの黄金期を築くことが出来るのか。今後の秋山監督の活躍にも期待がかかります。
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