『父子鷹』で甲子園を目指した監督・球児達〜その指導・教育法とは
- 2016/10/27
- 高校野球
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一生で一度の親子の挑戦
グラウンドに入れば、もう”親子”の関係ではなく”監督と選手”の関係へ。最初で最後の3年間となる時間に魂をぶつける親子は、どのように甲子園を目指したのでしょうか。
前橋育英 荒井直樹監督・荒井海斗選手
作文に夢記し、実現!日本一の親子となった荒井親子
2013年夏。これまで群馬大会準決勝の壁に阻まれてきた前橋育英は、ようやく壁を突破し、2年生エース高橋光成選手を擁して、甲子園初出場初優勝を果たしました。この時の主将は荒井直樹監督の息子である荒井海斗選手。この荒井選手、実は小学生の時にある夢を作文に記しました。
お父さんが監督をしている高校へ入って、群馬県で優勝して、全国制覇したい。
と作文に記し、さらに前橋育英の入学試験の面接でも
父親を、甲子園に連れて行くためです。
と話し、父親の”凡事徹底”の方針の下、小さい頃からの夢を見事実現して見せました!
父子鷹として話題を呼んだ原親子。その教育は超スパルタ!
東海大相模 原貢監督 原辰徳選手
巨人の中心選手として活躍し、監督としても長年プロ野球で活躍を見せた原辰徳氏とその父である原貢氏のストーリー。原貢氏はプロ野球選手を経て、アマチュア野球指導者として活躍、神奈川の東海大相模を率いて、その名を全国に轟かせました。
原辰徳氏は、父親が監督をしている東海大相模に進学しました。世間は”親子鷹として注目する一方で、実は正常な父と子の関係などありませんでした。
そりゃあ、もうあの時の俺は生きるか死ぬかよ。チームメイトの前で父親にバッコン、バッコンと拳骨で殴られるんだからね。この人は本当に俺の親父なんだろうかと悩んだこともしょっちゅうあったよ。
と原辰徳氏が振り返るように、当時監督で親でもあった原貢氏は、親子だからといって甘やかしてしまっては、チームメイトに示しがつかないと息子にあえて厳しく接しました。時には、激しい殴打で悶絶する我が子の顔をスパイクで踏みつけるといったこともあったようです。しかし、家に帰れば父と子の関係。おかずを息子に勧めるなど、グラウンドでは一監督、家では親子の関係の切り替えがスッパリしており、原辰徳氏も”切り替えの達人”と言うほどでした。
高校時代の超スパルタ教育によって、心身共に、どんな厳しい環境にも対応できる自信が知らず知らずのうちに身につき、巨人入団後もプロの練習が厳しいとはあまり感じませんでした。現代の高校野球では考えられない指導ですが、この指導がなければ今の原辰徳氏は無いと言えるでしょう。