ハンディキャップを乗り越え投げ続けた伝説の隻腕メジャーリーガー『ジム・アボット』
- 2016/4/6
- メジャーリーグ
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ハンディキャップに負けずトップで活躍したアスリート
野球界に、ハンディキャップを背負いながらもトップアスリートとして活躍した伝説の選手がアメリカにいいたことをご存知でしょうか。1989年から1999年までアメリカメジャリーグでプレーしたジム・アボット選手です。
「自分が障害者だと思ったことはない」
自分が障害者だとは思ったことはない。子供の時自分に野球を教えようとして庭に連れ出した父こそ勇気のある人間だ 。
アボット選手は1967年生まれ。生まれつき右手から手首までが無い「先天性右手欠損」というハンディキャップを抱えながら生まれました。しかし、アボット選手の両親は好きなことをやりなさいとアドバイス。アボット選手が選んだ好きなこと、それが「野球」というスポーツだったのです。
野球選手として頭角を表したアボット選手は高校、大学とエース投手として活躍し、1988年にドラフト1位でエンゼルスへ入団を果たします。また、同年行われたソウルオリンピックアメリカ代表として出場し、決勝では日本代表を相手に好投し、金メダル獲得に大きく貢献しました。
サイヤング賞三位、ノーヒッターなどメジャーを代表する左腕へ
メジャーリーグでは一年目から先発ローテーションに定着すると、入団三年連続で二桁勝利を挙げる活躍を見せます。
入団三年目の1991年シーズンには18勝11敗、防御率2.89の好成績を収め、サイヤング賞投票で一位のロジャー・クレメンス選手(レッドソックス)、同二位のスコット・エリクソン選手(ツインズ)に次ぐ三位に入り、メジャーを代表する左腕へ成長します。
1993年にはトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍すると、1993年9月4日のインディアンズ戦ではノーヒットノーランを達成しました。
その後アボット選手は、ホワイトソックス、エンゼルス(2度目)、ブルワーズでもプレーし、1999年に引退を発表し、10年間に渡るメジャーリーガーとしてのキャリアにピリオドを打ちました。10年間の通算成績は、87勝108敗、防御率4.25というものでした。
人々へ希望を与えたその功績
右手の事で人と違う気持ちを抱いたり、子供のころに辛い思いもしたけど、野球での成功が自分に他の人と同じ喜びをもたらした 。野球のおかげで自分に自信が持てたし、自分の事をたくさん知ることができた、それにかけがえのない経験をたくさんできた。
身体的ハンディキャップを背負いながらメジャーリーグというトップの舞台で活躍した彼の存在は、障害を持っていても他の選手と同じ土俵で戦えることを自身の身を持って教えてくれただけでなく、多くの苦難を抱えた人々に生きる勇気と希望を与えてくれました。彼の果たした功績は時代を超えてなお、多くの人々の心に刻まれ続けていくことでしょう。
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