命と引き換えのスーパープレー?ファーストゴロで一攫千金?モノクロ時代のメジャーリーグで起こったトンデモエピソード

  • 2016/1/13
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『規格外な時代』の『規格外なプレー&出来事』

ベースボールはアレキサンダー・カートライトによって1848年に考案され、その後何度ものルールやプレースタイルの変更を経て現在に至っています。その長い歴史の中で起こった現代では考えられないエピソードの数々を紹介します。

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一塁ゴロがキッカケで金鉱脈を発見

1905年、ライオライツの一塁手ウィリアム・グリフィスは一塁ゴロをイレギュラーさせた小石を拾い上げると、その石が異様に光っている事に気付きました。その後詳しく調べると拾った石は金鉱石で、球場の真下に金鉱脈がある事がわかりました。グリフィスはすぐさま球場を買収するとその金鉱で大金を手に入れたそうです。

 

ファインプレーに2つのアウトをプレゼント?!

テネシー州メンフィスでの試合の6回1アウトの場面。センターへ大飛球に対してセンターは背走しながら球を追い続け、最後の瞬間にグラブを差し出してキャッチ、このファインプレーに主審は普通の判定では満足できず「今のキャッチは見事。一つのアウトでは物足りない。二死分の価値を認め、これにてチェンジ」という前代未聞の判定を下したのでした。

 

命と引き換えのスーパープレー

1906年、ペンシルバニア州での試合のこと。その試合でレフトを守っていたB・F・ヒックスは高く上がったフライを追って機関車の線路が敷かれた土手に登り、大飛球を掴むスーパープレー。しかし、その時通過した機関車に接触して即死してしまいました。その後チームメイトが駆けつけた時、死んだ彼のグラブにはしっかりとボールが入ったままだったそうです。

 

24歳の名監督

1941年、インディアンスの若き遊撃手ルー・ブードローは監督業に興味を持ち、自ら球団オーナーに選手兼任監督就任を訴えました。翌年1942年に念願叶って24歳という若さで監督に就任すると、ベテランの反発にもめげずチームをまとめ上げ、自身もレギュラーの座を守り続けました。さらに、6年後にはインディアンスをワールドシリーズ優勝へ導きました。

 

3度ルーキーを経験

1896年にシカゴカブスのハーリー・パーカーという投手は成績不振を理由に放出されてしまいました。その3年後、パーカーは「ドック・パーカー」と偽名を使ってパイレーツに入団、しかし再び成績不振で僅か1年でクビに。さらにその翌年の1901年、パーカーは同じ手を使って3度目のルーキーとしてシンシナティ・レッズに入団しますが、今度は1年持たずシーズン途中でクビになってしまいました。それ以降パーカーがメジャーリーグの舞台に立つことはありませんでした。

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クワドループルヘッダー (1日4試合)

これはマイナーリーグの話になりますが、1889年9月15日、セントジョセフ対スーシティのカードは延期されたゲームを含む4試合が残っており、リーグはこの日で全てを消化してしまおうと1日4試合という強行日程を立てたのでした。なお、この史上初のクワドループルヘッダーで、ホームのスーシティは4連勝を飾りました。

 

数々の珍事も長い歴史があるからこそ

日本プロ野球よりも歴史の長いメジャーリーグ。だからこそ、その歴史の中で数え切れないほどののエピソードが生まれてきました。ここで紹介したものはほんの一部。さらに歴史を紐解いてみると、もっとすごいエピソードがあるかもしれません。

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