プロ入りした選手がなんと5人!1987年PL学園の強すぎる春夏連覇メンバー
「歴代の高校の中で、一番強かったチームは?」
長い高校野球の歴史の中で、様々な強豪校がファンを魅了してきました。この議論はこれまで幾度となくされてきたでしょう。
今回は、歴代の中でも最強チームの一つと言われている、1987年のPL学園を紹介したいと思います。
史上4校目の春夏連覇!
1987年のPL学園は、2年前に桑田真澄投手と清原和博選手の「KKコンビ」を擁しても成し得なかった春夏連覇を達成します。
1987年 春
- 1回戦 ○ PL学園3-1西日本短大付
- 2回戦 ○ PL学園8-0広島商
- 準々決勝 ○ PL学園3-2帝京(延長11回)
- 準決勝 ○ PL学園8-5東海大甲府(延長14回)
- 決勝 ○ PL学園7-1関東一
1987年 夏
- 1回戦 ○ PL学園7-2中央
- 2回戦 ○ PL学園7-2九州学院
- 3回戦 ○ PL学園4-0高岡商
- 準々決勝 ○ PL学園4-1習志野
- 準決勝 ○ PL学園12-5帝京
- 決勝 ○ PL学園5-2常総学院
1987年 夏の甲子園決勝のスターティングメンバー
- セカンド 尾崎
- キャッチャー 伊藤
- ショート 立浪
- ファースト 片岡
- ライト 長谷川
- ピッチャー 野村
- レフト 桑田
- ショート 宮本
- センター 蔵本
この中に、ご存知の苗字がいくつかあったのではないでしょうか?
30年近く時が流れてもなお、「最強チーム」の一つとして名が挙がる1987年のPL学園。その春夏連覇という実績もさることながら、「最強」呼ばれる理由は他にもあります。実は、その後にプロ入りを果たし、プロ野球の世界でも活躍した選手たちが5人もいるのです。
その後プロ入りした1987年春夏連覇メンバー
立浪和義 中日ドラゴンズ(1位指名)
- 1988~2009年 22年 2586試合 2480安打 487二塁打(歴代1位)171本塁打 1037打点 打率.285
- タイトル:新人王 ベストナイン:2回 ゴールデングラブ賞:5回
PL学園時代は3番ショート、そしてキャプテンを任されており、注目を集めていました。高卒1年目から球団史上唯一のフルイニング出場を果たし、新人王とゴールドグラブ賞を受賞。その後もドラゴンズ一筋で活躍し、3代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれました。
片岡篤史 同志社大学 – 日本ハムファイターズ(2位指名) – 阪神タイガース
- 1992~2006年 1569試合 1425安打 164本塁打 717打点 打率.270
- タイトル:最高出塁率 ベストナイン:2回 ゴールデングラブ賞:3回
PL学園時代は4番としてチームを牽引。同志社大学を経て、プロ入り1年目から「ビックバン打線」の3番打者として打率.290 10本塁打の成績を残します。阪神移籍後の2003年には、中軸として18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
野村弘樹 横浜大洋ホエールズ(3位指名)
- 1988~2002年 301試合 101勝 88敗 防御率4.01
- タイトル:最多勝:1回 (1993年)
PL時代はエースとして甲子園で10試合に登板して6勝。打っては高校通算53本塁打をマークしています。プロ入り後も投球もさることながら、打撃も健在で、通算92安打 6本塁打 47打点という成績も残しています。
橋本清 読売ジャイアンツ(1位指名)- 福岡ダイエーホークス
- 1988~2001年 134試合 9勝 12敗 8S 防御率3.17
PL学園時代は背番号10の右のエースとして、野村投手と二枚看板を結成。プロ入り6年目に一軍定着を果たし、150キロを超える速球とフォークを武器にセットアッパーとして活躍。抑えの石毛博史投手への継投策は、長嶋茂雄監督から「勝利の方程式」と名付けられました。
宮本慎也 同志社大学 – プリンスホテルーヤクルトスワローズ(2位指名)
- 1995~2013年 2162試合 2133安打 62本塁打 578打点 408犠打 打率.282
- タイトル:ベストナイン:1回 ゴールデングラブ賞:10回
PL学園時代は守備を買われ、2年として唯一の出場を果たし、春夏連覇を経験します。ゴールデングラブ賞10回の堅実な守備と、通算2000本安打・400犠打をマークしたつなぎの打撃を兼ね備えたチームに欠かせない選手として、スワローズ一筋で活躍で活躍しました。
個々の能力の高さ、そしてプロで残した実績を考えると、この選手たちが集まっていた1987年のPL学園は間違いなく最強と言っても過言ではないかもしれません。
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