超個性派揃い!?『史上最強の一番打者』『浪速の春団治』85年阪神日本一を支えた5選手
- 2015/11/12
- プロ野球
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伝説の3連発トリオだけじゃない!役者揃いのVメンバー
今から30年前の1985年、球団創設以来、初めて日本一に輝いた阪神タイガース。この時の阪神の中心メンバーは何と言っても3番バース選手、4番掛布選手、5番岡田選手の強力クリーンアップでした。
3人合わせて129本のホームランを叩きだしたこのクリーンアップは最大の魅力でしたが、このチームを支えたのはこの3人だけではありません。そこで、今回は1985年阪神の日本一に貢献した5選手を紹介したいと思います。
真弓明信
1979年にクラウンライターライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)からトレードで加入すると、1983年には首位打者を獲得。
1985年には打率.322、ホームラン34本、84打点の好成績を残し、『史上最強の一番打者』と呼ばれました。この年には落合博満氏以来となる3つの異なるポジション(遊撃手、二塁手、外野手)でのベストナインを受賞しました。
平田勝男
1981年にドラフト2位で阪神へ入団。阪神不動の遊撃手として、1984年から4年連続でゴールデングラブを獲得した守備職人。同じく阪神の名遊撃手として活躍した、吉田義男監督にもその守備力を絶賛されました。
1985年シーズンは『七番遊撃手』として一時期は打率トップに立つなど、攻撃面でも貢献し、25個の犠打を記録しました。
佐野仙好
1973年にドラフト1位で阪神に加入した。入団当初は三塁手だったが、同期入団、掛布雅之の台頭により左翼手へコンバートされ、持ち前の打撃力を発揮しました。
1985年シーズンは強力クリーンアップの後ろである『六番左翼手』のレギュラーとして13本塁打を記録しました。チャンスに強く、優勝を決めたヤクルト戦では同点犠飛を上げるなど『恐怖の六番バッター』として優勝に貢献しました。
中西清起
1983年ドラフト1位で阪神入団。入団1年目からリリーフとして活躍し、翌1985年シーズンには山本和行との『ダブルストッパー』として11勝19セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。
水島新司氏の漫画『球道くん』の主人公、中西球道にちなんで『球道くん』の愛称で親しまれました。指導者としては久保田、ウィリアムス、藤川球児の『JFK』を確立し、2003年、2005年の阪神優勝に多大なる貢献を果たしました。
川藤幸三
1967年ドラフト9位で阪神入団。『浪速の春団治』の愛称で親しまれた阪神の名物プレイヤー。主に代打の切り札として縦縞一筋18年、記録よりも記憶に残る選手でした。
1985年シーズンは首脳陣と選手を繋ぐ『ムードメーカー』としてもチームに貢献。MVPを獲得した主砲バースには、将棋を教えながらコミュニケーションを図り、チームから孤立させませんでした。
他にも『いぶし銀』が揃った85年阪神タイガース
以上の5選手を取り上げましたが、他にも中西と同じく『ダブルストッパー』の異名をとった山本和行投手や、正捕手としてチームを支えた木戸克彦選手、さらにルーキーとして入団してきた和田豊選手など『いぶし銀』と呼べる面々が並びました。強力クリーンアップが注目されがちですが、1985年の阪神は3人以外にも魅力溢れる選手がいた伝説のチームと呼べるでしょう。
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