ミスターフルスイングからヤクルト黄金期の名センターまで!?「元捕手」だった名選手たち
- 2016/6/22
- プロ野球
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打力を生かして外野へ 出場機会を求めて内野へ挑戦
様々な理由で捕手から他のポジションへと転向し、そこで成功したために「キャッチャー」のイメージが薄くなってしまった選手というのは数多くいます。
今回はそんな選手のなかでも「えっ!?この人って外野手一筋じゃないの?」というような方たちを紹介します。
木村拓也
捕手年数:2年 捕手出場:5試合
高校時代に俊足強肩の捕手として甲子園に出場し、ドラフト外で日本ハムに入団しました。しかし2軍でも捕手としての出場機会に恵まれず入団3年目に俊足を生かして外野手へと転向。ここで才能が開花し出場試合が増えていきました。
広島に移籍後はユーティリティープレイヤーとして内外野を守り、捕手の人材難からプロ9年目にして初めてマスクを被りました。
その後移籍した巨人では2009年にアクシデントで急遽10年ぶりに捕手を務め、3人の投手をリードして無失点に抑えました。
小笠原道大
捕手年数:3年 捕手出場:59試合
高校時代にチーム事情で内野手から捕手にコンバートされ、その後社会人にも捕手として入団しました。日本ハムには内野手として指名されるものの8番捕手で初スタメンを果たし、
2年目に打率3割をマークすると、翌年には引退した落合の後続として一塁へとコンバートされ、これ以降マスクを被ることはありませんでした。
しかし、2016年のOB戦では捕手として途中出場し、野茂英雄をリードしました。
和田一浩
捕手年数:5年 捕手出場:73試合
強肩強打の捕手と期待されて西武にドラフト指名されましたが、当時は名捕手・伊東勤がいたため外野と兼任し、2001年には開幕戦を含め7度も松阪大輔とバッテリーを組みました。
5年目までは2つのポジションを兼任していましたが2002年に伊原新監督の勧めで外野手に完全転向し、それ以降は外野手・指名打者のみの出場となっています。
飯田哲也
高校時代は肩が強いことから捕手を務め、ヤクルトに入団すると八重樫に次ぐ控え捕手としてキャッチャーのみで22試合に出場しました。
翌1990年には野村克也新監督に足の速さに目を付けられ
オマエのミットを買い取ってやるから外野手のグローブを買ってこい。
と言われ外野へと転向。その後は足を生かした広い守備範囲と捕手時代の経験を生かしたコンパクトなフォームの素早い送球でセンターの定位置を掴みました。
山﨑武司
中学時代から捕手で、高校時代は名門・愛工大名電で1年時より4番捕手に座ると高校通算56本塁打を放ち、地元中日に指名されました。
2年間の2軍暮らしの後1989年に10月4日の広島戦で8番捕手でプロ初スタメン。しかしその11日後の広島戦で正田耕三選手に5つの盗塁を許し途中交代(正田はこの日6盗塁の日本記録)、この試合で捕手を断念しました。
その試合以降は外野手に転向し、本塁打王を2度獲得する活躍を見せています。
久保田智之(高校時代)
滑川高校の正捕手として甲子園に出場し、リリーフ投手として背番号2を着けた久保田はトルネード投法で甲子園を沸かせました。3試合でリリーフし無失点。
大学には投手として誘われ2年時からエースとして活躍し、プロ入り後はMAX157km/hの直球を武器に中継ぎ投手として活躍しました。もちろんですがプロ入り後に捕手の守備に就いたことはありません。
現役選手にも存在する「元捕手」たち
阪神の今成亮太選手、楽天の銀次選手のように現役選手でも「元捕手」のレギュラー選手は多々存在します。
二軍でくすぶっている若手捕手がコンバートした際には、注目してみてはいかがでしょうか?もしかしたら新しいポジションで「捕手時代」を忘れてしまうような大活躍を見せてくれるかもしれません。