※書籍「超える技術」からの一部転載です
私が野球を始めたのは8歳からで、小学3年生の時である。
それから23歳まで野球を続けていたこともあってか、一般の人よりも体力はある上に、身体能力もかなり高い。
腕立てやスクワットなどの自重トレーニングは、小学生の頃から行なっていたし、15歳からはトレーニングジムに通って、ダンベルやマシンを使って体を鍛えた。
プロテインは中学へ上がった時に飲むようになり、当時はまだ今と違って大豆をベースにした物しかなく、水に溶けず、ダマになってしまう、とても飲みづらいものだった。
はっきり言って、めちゃくちゃ不味かった。
あの当時は野球選手でウェイトトレーニングをやっている選手はまだまだ少なかった。
体を鍛えるために必要な情報は、『アイアンマン』と言うボディビル雑誌を読んで筋肉の名称や栄養摂取の仕方、トレーニング方法や筋肉がつくメカニズムなど、筋肉にまつわるさまざまな情報を得ていた。
ボディビルダーを目指していたわけではないが、当時はアイアンマンに最も情報が豊富にあって、逆にそれ以外では全くと言っていいほど筋肉に関する情報がなかった。
今と違ってインターネットもなく、そして筋肉質な男というのが特異な目で見られる時代である。
その甲斐あって同年代の中ではかなり筋力がある方だった。
将来はアメリカでプロ野球選手としてプレーしたい、と思うようになったのはアイアンマンの中で紹介される筋骨隆々の男たちは皆アメリカ人だった影響もある。
とてつもない化け物みたいな人種がアメリカにはうじゃうじゃいる、と妄想を膨らませていた。
そして自分の中の基準がこのアイアンマンの中のボディビルダーになっているので、同級生の中で私だけが筋肉を鍛えている状態にもかかわらず、周りから筋肉マニア扱いされたりしても、自分としては全然まだまだ足りていないと思っていた。
当時を振り返っても私はかなり細かったと思う。
しかし同級生達の筋肉はさらに細かった。
自分の中の基準が世界トップクラスのボディビルダーの筋肉になっていたのだから、周りから何を言われようと黙々と筋肉を痛めつけ、体を大きくすることにこだわった。
16歳でアメリカに初めて行った時に、ボディビル雑誌で見るような巨体を持った筋肉マンたちの街を歩く姿を見て、その生の迫力に、よりいっそう自分はまだまだだと思うようになった。
一緒に練習をしたメジャーリーガーたちは、見た目の筋肉だけじゃなく、身体能力も凄まじく、それまで日本では見たことのないような重さのバーベルを担ぎ上げ、トレーニングルームでうめき声をあげながら、鬼気迫る緊張感で張り詰めた空気の中、限界を突破するトレーニングがひとしきり行われたかと思うと、次の瞬間には楽しそうに談笑し、いかにもトレーニング自体を楽しんでいるという雰囲気があり、そしてそれにもまた魅了された。
当時私が経験してきた高校野球のレベルではとても考えつかないような、異次元の世界である。
プロになったばかりのマイナーリーガーたちですらも、とてつもないパワーを持っていて、とあるメジャーリーグドラフト1位で入団した1年目の選手は、ケージの中でのバッティング練習でネットを突き破るんじゃないかと思うような殺人的な打球を放っていた。
彼の名はパット・バレル。
その後フィラデルフィアフィリーズの四番打者になる超強打者である。
その他にもボストンレッドソックスの名遊撃手、ノマー・ガルシアパーラともトレーニングで一緒だったが、身長は私より少し高いぐらいなのに当時レッドソックスの四番を打っていただけあって、打球は凄まじかった。
これが世界か、と唖然としたが、悔しさなどは微塵もなく、ただただ憧れが強くなるだけだった。
アメリカでは体を鍛えるというのはごくごく当たり前の日常で、男であれば皆、筋肉があって当たり前、トレーニングするのは当たり前という雰囲気を感じた。
実際に日本と比べてもトレーニング人口は多く、トレーニングジムのクオリティも全然違う。
日本に帰ってくるとちゃんとしたトレーニングジムを探すのが大変である。
そしてプロテインなどのサプリメント系も日本とアメリカではクオリティが全然違う。値段も全然違う。
アメリカのサプリメント市場は大きく、競争も激しい。
それゆえにコスト面でもはるかにアメリカのサプリメントの方が安い。
当時はホエイプロテインが出たばかりで、日本では手に入らなかった。
日本に帰らないといけない時には、アメリカで大量にホエイプロテインを買ってバッグに詰めて日本に持って帰っていた。
そしてその後日本でもホエイプロテインが販売されるようになったが、値段は4倍以上違った。
アメリカの球団では筋力トレーニングをするというのはごく当たり前で、野球自体の練習をお昼過ぎで終えた後、各自がトレーニングジムに行ってウェイトトレーニングをする。
そんな光景が当たり前だった。
アメリカの大学でも高校でも、ウェイトトレーニングをやっている。
そんな中にずっといると自分の中の筋肉に対する基準が大幅に変更されていくことになる。
基本的に私は15歳から現在まで常にどこかのトレーニングジムと契約をしている。
いつでもトレーニングができるように準備してある。
仕事が忙しくなってきたり、時間が取れなかったりする時は、トレーニングがおろそかになる期間もあるが、定期的なトレーニング自体は続けてきている。
昨今、日本でも運動の重要性が語られるようになり、ビジネスパーソンの間でも積極的に運動をしようという考え方は以前よりも一般的になった。
運動した方が精神的にも脳機能的にも良い効果をもたらすという考え方が広まったおかげで、定期的なトレーニングをしている私自身に対する偏見もなくなってきた。
しかし運動もやり方によっては害をなす場合がある。
私が考える効果的な運動、トレーニング法というのを紹介し、なぜそのようなトレーニングを行うのか、について理由を述べたい。
まず、運動は身体に作用するが、実は脳にも良い。
これは脳という身体器官が何のために進化し発達してきたのか、の理由を探ると説明がつく。
脳がある生物とない生物の違いは、体が動くかどうかである。
植物には脳がない。
私たち人間を含めた地球上の動物は体が動き、そして脳がある。
原始的な動物が地球上に現れた時は、進化はまず腸から始まった。
我々が動物として体の動く生き物になるスタートは腸だったのだ。
そして今でも私たちの小腸大腸は、脳神経細胞と同じニューロンがある。
ニューロンが存在する箇所は脳と脊髄と腸である。
私たち人間にはそのほとんどが脳に存在するのであるが、元々は原始的な動物だった頃に腸にあったニューロンが、進化の過程で脊髄に増え、脳を作っていった。
脳は後から作られた身体器官なのである。
何のために脳は必要だったのだろうか。
それは体を動かし移動する必要があったためである。
腸の蠕動運動ように単純な運動しか行わないうちは、脳は必要ない。
しかし足を持ち、それらを動かし目的地に動こうとすると、筋肉を高度に制御する必要が出てくる。
足だけをとってみても、さまざまな筋肉の出力をコントロールする必要があり、移動速度や移動方向を制御ための絶妙なバランスも同時に制御する必要がある。
そして適切な移動速度や移動方向を決めるためにも空間認識能力や判断力が必要となる。
私たち動物は移動することによって食物を確保でき、自分たちにとってより最適な環境を探し求めて生き延びれた。
なので脳を鍛えるにはまず体を鍛える必要がある。
体を鍛えるして脳を鍛えようとしても、効果は薄い。
実際に私たちが思考として使っている脳の部位というのは、 大脳新皮質の前頭前野と言われる進化の中で最後に付け加えられたものである。
それ以外の部位は、私たちが思考をするずっと前から発達をしてきていたのである。
脳の大半は体を制御するためにあるのである。
私たちは考えることをやめても心臓は動き続けるし血圧も体温もコントロールされている。
情動の変化でホルモンが分泌され体は常に環境に適応しようとして調整され続けている。
脳の大半は自動運転で、意識せずとも私たちの体を調整している。
体を動かさなくなり運動が不足してくると、この脳による体の調整機能というのが鈍ってきて、うまく調整が効かなくなってくる。
複雑な体の動きというのはそれだけ脳にとっても複雑な命令を生み出す必要性が高まる。
そしてそれによって脳はさらに発達するのである。
高度な動きを伴うスポーツというのは脳にとって良い、と考える理由である。
だからまず若いうちは体を鍛えた方がいい。
筋肉を成長させるには若いうちの方が、効率が良い。
筋肉を大きく強くするには、超回復というメカニズムを使う。
筋肉が出せる最大出力の限界を超える負荷を与えた時に筋肉はダメージを受ける。
そしてその後48時間から72時間の間で、元の筋肉の最大出力以上の出力が出せるように発達をする。
この時の筋肉に負荷をかけるレベルであるが、筋肉を極限まで追い込む必要があるので焼けるような、ちぎれるような痛みを伴う。
それほどの負荷を与えることによって、次にこのような負荷がきても対処できるように、と筋肉で超回復が起こる。
この超回復が起こるサイクルを利用して筋肉を発達させるのであるが、若いうちの方がより早くより強く回復できる。
これは体の成長ホルモンも関係してきている。
筋肉を作るのに、最も影響を強く与えているホルモンとして知られているのは、男性ホルモンのひとつであるテストステロンである。
男性ホルモンといわれているが、女性でも分泌されており、男性の方が分泌量が多い。
他にも筋肉を大きくするために関与してくるホルモンはあるが、加齢とともに減少し著しくその効果を失っていくのはテストステロンである。
なのでこのテストステロンが最も多く分泌されるタイミングで筋肉を大きくしておくのが効率的である。
テストステロンは20代前半がピークで、それ以降は徐々に減少し、40歳を過ぎたあたりから一気に減少していく。
40歳を過ぎてから筋肉を鍛えようとするととても効率が悪くなってしまう。
40歳を過ぎてからの運動に効果がないと言っているわけではない。
筋肉を鍛えようと思うのであれば、若いうちにやってしまって、後はそれを維持すればいい。
それが最も効率的である。
実際に私も今は2週間に1回程度しかウエイトトレーニングをやっていない。
それでも身長176cmに対して体重は72kg、 体脂肪率は10パーセントである。
体脂肪率は20歳の頃からほとんど変わっていない。
たまに、1ヶ月ほど全く運動ができない時などは、体脂肪率が12パーセントぐらいまで増えることがあるが、少し運動してトレーニングをすると、2週間ぐらいで戻る。
筋力や筋肉量もほとんど変わっていない。
21歳の時が今までの人生の中で一番体重が重かったときだがその時で85kg、 筋肉増強効果のあるプロホルモンを使っていたので、一年で7kgぐらい増やしたが、その一年が少し異常なだけで、それ以外の年は今の体型と基本的にはずっと一緒である。
なので当時着ていた服を今着ることもできる。
私は今40歳だが、もし若い時に体を鍛えていなかったら40歳からトレーニングを始めて、今のこの体型を作るというのはかなり困難だと思う。
だからこそ若いうちに先に体を鍛えて上げておいた方がいい。
運動するのに遅すぎることはないが、始めるなら今がいい。
太りだしたり、体が衰えだしたらトレーニングすれば良いと考えがちだが、ひとたびそうなったら、トレーニングでそれらを取り戻すのはなかなか効率が悪い。
そして体脂肪を減らしたいと思ったら、運動よりも食事である。
「ダイエットをするぞ」と決意をした人の多くは、運動から着手しようとしてしまうが、運動よりも食事の方が体脂肪への影響は大きい。
これは栄養学の章で詳細に語るつもりであるが、今ここで私が運動について語っているのは決してダイエットのためではないという断りを入れておく。
そして体を鍛えることのメリットは筋肉だけではない。
筋肉に指示を出す神経も発達する。
脳と筋肉は神経でつながっている。
神経の伝達効率が良ければ脳のわずかな力みで強い力を筋肉が発揮できるようになる。
そして脳の出力も上がると、筋肉の反応も速くなる。
体に対して複雑で速い動きをさせようとすると脳が鍛えられるのである。
私たちが普段、高度な思考で用いている脳機能というのは、元々は空間認識能力だったり視覚野だったり聴覚野だったりしたものを転用している。
考えるという行為は比較的新しい脳の使い方で、元々は体を動かして自然界で生き抜くために脳を発達させてきたのである。
急激に日常的に体を動かさなくなったのは、生物学的な時間軸で考えると、ここ最近のことなのである。
遺伝子上、今のこの肉体になったのが、今から10万年前と言われており、10万年前の私たちの祖先と今の私たちは遺伝子上は全く同じである。
10万年前の祖先を子供時代に今の時代に連れてきたとして、同じ教育を受けさせれば、基本的に私たちと変わらない人間に育っていく。
10万年という時間軸で見れば、先進諸国の人々が体を動かさなくなったここ50年ぐらいのことは、ごく最近に起こった不自然な変化なのである。
それまで人類は体を動かす必要性が高かった上に、寿命も短かった。
体の成長と脳の成長は一致し、体の衰えが脳の衰えになることはとても自然なことだった。
しかし現代では体の成長が止まり衰えていったとしても、脳の発達は求められる。
脳が衰えていくことは社会的な死を意味し、肉体的な衰え以上に恐れられており、社会的にも受け入れ難いものとして扱われてしまう。
脳機能を向上させたいのであれば、体を動かして、脳のより多くの箇所を活性化することである。
だから今から運動を始めよう。
そして運動習慣があるのであれば、長すぎる有酸素運動は避けよう。
若いうちはいいが、40代あたりからフルマラソンに挑戦するようなあまりにも長い時間、長い距離を走り続けるというのは避けた方がいい。
人間は他の動物と違って長距離を走り続けられる。
他の動物は走り続けた場合、いとも簡単に死に至ってしまう。
人間よりも速く走る動物はたくさんいる。
しかし人間よりも長く走り続けられる動物はいない。
人間は長く走るように進化してきた。
それゆえに長距離を走るというのは慣れてくると気持ちがいい。
長距離を走っていると脳内神経伝達物質ドーパミンとベータエンドルフィンが出る。いわゆる脳内麻薬である。
そして走り終えた後セロトニンが出て幸福感が高まる。
なので長距離を走るなと言っているわけではない。
フルマラソンを走るほどの過度な長距離走を避けた方がいいと言っているのである。
もし有酸素運動をするのであれば20分から40分で十分である。
一般の人がフルマラソンを走った場合3時間から5時間ほど走り続けることになる。
これは明らかにやりすぎである。
長時間の有酸素運動がもたらすメリットをはるかに超えて害をなすレベルにまで運動する必要はない。
フルマラソンに出ることを否定しているわけではないが、健康のことを考えるのであれば、フルマラソンで得られる健康上のメリットよりもデメリットの方が大きいことは知っておいた方がいい。
健康のために走っているわけではないという人もいるだろうから、単純に走るということが好きで走っているという場合であればそれはそれでいいと思う。
健康のためにフルマラソンを走るというのは間違っているという意味であって、フルマラソンそのものが楽しみであって、自分にとって人生を豊かにしてくれる瞬間なのだと言うのであれば何も問題ない。
健康を害してでも好きなことをやって自分の人生を謳歌するという考え方も素晴らしいと思う。
人がそれぞれ何を重要だと思っているかはそれぞれなので、トライアスロンやフルマラソン、ボディビルなど、健康を害してでも己のやりたい道を突き進むという姿もかっこいいと思う。
私は健康を最優先にしているので、そのような選択をとっているのであって、あなたが一番重要だと思うことを優先すればいい。
ただ、健康はすべてに影響を与える。
あなたが人生の中で感じる喜びや快楽、感動、情動などは、健康を損なってくるとどんどん鈍くなってくる。
人生で味わえるものが味わえなくなってくる。
私は健康を第一優先とする戦略をとってきた。
健康は不可逆的なもので、一度損ない始めると、完全に元を戻すのにより多くの時間と労力が必要となる。
そして健康の損ない度合いが大きい場合は、完全に戻らない場合もある。
そして加齢とともに老化し、健康はどんどん損なわれていく。
最近では健康について書かれた本も増えた。
元々、健康というテーマは人類にとって重要なテーマだった。
しかし人々が健康について思い悩むようになるのは、健康を損ない始めてからである。
なので書店に並ぶ健康本は、基本的に中年から高齢者向けである。
はっきり言っておく。
健康な人生を送りたければ、若いうちに運動をして体を鍛えておくことだ。
健康について思い悩むようになってから健康本を読み漁っても、その効果は薄い。
しかし書店に並んでいる健康本は、ターゲットである中年から高齢者を勇気づけるために(本を売るためだが)、運動すれば何歳からでも健康になれるかのように錯覚させるようなものばかりとなる。
若いうちから運動始めましょう、と書いてある本は正直で立派だが、売れないどころか反感を買うだろう。
人は失ってから初めてその価値を噛みしめるのである。
体を動かして肉体を刺激し脳を活性化させることは、体の感覚を鋭くすることにもつながり、世界のさまざまな情報を刺激として知覚することができるようになるだろう。
体の感覚が鈍ってくると、知覚もできなくなってくる。
世界の素晴らしさを味わえなくなってくるのだ。
だから、若いうちに運動を始めなさい、そして体を鍛えなさい。
これが運動についての章を最初に持ってきた理由である。
当たり前のことであるが肉体が死んだら終わりである。
どれだけ脳を元気にしておきたい、と努力しても、肉体が死んだら全てが終わりである。
ではどういう運動がいいか。
私からのアドバイスだが、まずは人が少ないガチでムキムキマッチョになりたい人たちが集まる、 トレーニングジムを探そう。
プールがあったり大浴場があったり、フィットネススタジオがあるような、憩いの場になっているようなフィットネスクラブはおすすめしない。
なぜならそういったフィットネスクラブは効率が悪いからだ。
効率よく体を鍛えるには、筋肉に短時間でかなり強い負荷をかける必要がある。
そのためにはダンベルやマシンを待っている時間が無駄になる。
プールやフィットネススタジオがあるようなフィットネスクラブというのは、抱えている会員の数に対して、ダンベルやマシンの数が足りていないことが多い。
いつ行ってもマシンを使うのに待たされるということが起こってしまうのであれば、短時間で筋肉に強い負荷をかけるというのは実現しにくくなるだろう。
マンツーマンの個人レッスンだけをしているパーソナルトレーナー制のジムも避けた方がいい。
これは費用面で割に合わないからである。
費用負担が大きい場合、継続して利用することは難しくなるだろう。
短期集中で一気に体を作り上げて、目標を達成したら、喜びと共にジムを退会することになるだろう。
そしてその短期間で得られた体は、短期間で失う。
基本的にジムで体を鍛えるのは自分自身で管理して行った方がいい。初めは見よう見まねでいい。
どうやって体を鍛えればいいのかわからないのであれば、ボディビル雑誌を読むことだ。
ジムのトレーナーの言いなりになってはいけない。
こんなことを言うと読者の中にトレーナーをしている人がいて気を悪くするかもしれないが、ジムのトレーナーといっても所詮は素人である。
ほとんどのトレーナーはバイトである。
ボディビル雑誌を隅から隅まで読んでいるような筋肉オタクは稀である。
だからといって筋肉ムキムキの、ボディビル大会に出場するのを目指しています、と豪語しているようなトレーナーであったとしても、参考程度に意見を聞くぐらいにとどめておこう。
基本的には自分の体で試して失敗を繰り返しながらも納得しながら筋肉に対する知識を深めていけばいい。
トレーナーとは一切話をするなと言ってるわけではなく、トレーニングメニューをトレーナー任せにして、その通りにやることしか考えていないというのは避けるべきだと言っているのである。
トレーニングジムが見つかったら、次に探すのは、トレーニングシューズである。
意外にもトレーニングシューズにこだわっている人は少ない。
シューズはとても大事である。
トレーニングシューズを探しに行っても大抵はランニングシューズばかりを見つけることになるだろう。
ランニングシューズは外を走るために設計された靴である。
なので、室内でウエイトトレーニングを行ったり、トレッドミルを走ったりすることに合わせて作られているわけではない。
ではどのようなシューズがいいのだろうか。
私がオススメするのは、フットサル用のシューズか、レスリングシューズ、あるいはレーシングシューズである。
私はもう10年ぐらいプーマのレーシングシューズを愛用している。
フェラーリのロゴが入ってるのでレーシングシューズと一目でわかる。
おしゃれなので気に入っている。
これらのシューズに共通しているのはソールが薄いことである。
ナイキのエアマックスのようなソールが分厚くて柔らかいものはおすすめしない。
足の裏が不安定になって足首や膝を傷めやすくなる。
走る時に膝を痛めるんじゃないかと心配する人がいるかもしれないが、ジムの中で走るのだとしたらトレッドミルになるだろう。
トレッドミルは衝撃を吸収する機構があるので足首や膝への衝撃は少ない。
なのでジムで履くシューズはソールが薄い方がいい。
そして次に探すのはトレーニンググリップである。
ダンベルやバーベルを持つ時に手から滑り落ちてしまわないように巻きつけるタイプがいいだろう。
手袋をはめるように手首で固定して使うものである。
柔道の道着の帯のような長いものから、 グリップを固定することに特化したゴールドジムのパワーグリップまで、好きなものを試せばいい。
私は今はゴールドジムのパワーグリップを使っている。
なぜトレーニンググリップが必要か、と言うと、上半身を鍛えるためにダンベルやマシンなどを何度も握ることになるが、最初に疲労してしまうのが握力だからである。
握力が疲労してしまうと、本当はさらに回数ができたはずなのに、持ちこたえられなくなってしまう。
特にプル系、ラットプルダウンや、デッドローイングなどで広背筋や僧帽筋を限界まで追い込もうとする際に、先に握力がやられてしまっては、限界まで追い込めなくなってしまう。
広背筋や僧帽筋はかなり大きな筋肉で、握力に作用する前腕の筋肉は小さい。
トレーニングクリップを使う理由は、大きい筋肉を追い込む前に小さい筋肉が先にダメにならないように、握力をセーブするためである。
トレーニングジムを探すこと、トレーニングシューズとトレーニンググリップを手に入れること。
これで十分だ。
そしてトレーニングウェアであるが、これはもう本当に何でもいい。
薄くて軽ければ、基本的には何でもいい。
トレーニングをするとなると真っ先にトレーニングウェアを探しに行きたくなると思うが、あれこれ探しているうちに迷ってしまって時間を無駄にする羽目になる。
トレーニングウェアを探している時間があったらトレーニングを開始した方がいい。
Tシャツと短パンでいい。
トレーニング用に短パンぐらいなら買いに行ってもいいと思うが、やたら機能性が高いと主張してくるものや、効果のほどもよくわからないような加圧シャツとかを比較検討したりする時間は無駄であるので、家にあるT シャツでいい。
とりあえず1日でも早く運動を開始した方がいい。
体を鍛えた方がいい。
ジムに入っていないなら、今すぐ入会した方がいい。
完全パーソナルトレーナー制になっているジムはやめたほうがいい。
朝がいいのか、夜がいいのかという問題であるが、私の意見は「どっちでも良い」だ。
朝やろうが夜やろうが効果はそれほど大して変わらない。
運動をやるのとやらないのとの差に比べれば、微々たるものだ。
だから続けやすい時間帯を見つければいい。
ジムに行く時間がないという人もいるかもしれない。
私もそれほど頻繁に行けてはいない。
しかし若いうちに一度身体を鍛え上げてしまえば、40歳を超えてからは、頻繁にジムに行かなくても、筋肉を維持できるようになるだろう。
だから若いうちは、もっと頻繁にジムへ行こう。
短時間で筋肉を追い込もう。
30分で追い込もう。
わざわざジムに行かなくても家でもできるんじゃないかという人もいるかもしれない。
確かに既に鍛え上げられた身体を持っていて、その体を維持するだけというのであればそれでも構わないだろう。
しかしこれから体を鍛えあげなければいけないというのであればジムに行った方がいい。
その方が効率が良い。
実はダンベルやマシンを使ったトレーニングよりも、自分の体重だけでやる自重トレーニングの方が難易度は高い。
だから家でトレーニングをしても良いのは、初心者ではなくむしろ上級者の方だ。
身体構造や筋肉のメカニズムを理解していなければ自重トレーニングはうまくいかない。
だから家でひっそりとは誰にも見られずにトレーニングをしようとは思わないことだ。
筋肉をつけるのに大幅なショートカットというものは存在しない。
効果的で効率の良いトレーニング方法はあったとしても、ほとんどトレーニングせずにも筋肉を強くするなどということはできない。
だから筋肉をつけることは、時間がかかり、そしてそれだけ精神的にも過酷なのである。
私が若い人に体を鍛えた方がいいという理由のうちのひとつも、精神面での影響もある。
体を鍛え上げていく作業は地味で時間がかかりそして過酷である。
そして孤独である。
これらを若いうちに経験しておくのはとてもいい。
困難や苦難があったとしても、肉体を痛めつけた時の痛みに比べれば大したことないと思えるようにもなる。
実際私も辛いことや悲しいことがあっても、トレーニングでの過酷さに比べれば大したことはないと思えることも多い。
私は39歳の時に両目の網膜剥離が見つかり、一か月おきに片目ずつ手術した際も、手術直前まで不安だったし、とても嫌な気分だった。
手術台に上がる直前では吐きそうだった。
しかし手術が始まってみれば、なんてことはなかった。
途中で麻酔が切れてきたが、それでもその痛みは、トレーニング中の痛みに比べればはるかにマシだった。
手術が終わった後に執刀した医者に、「相当痛みに強いんだね」と言われた。
手術自体はとても気持ち悪かった。
麻酔が効けば見えなくなると言われていたにもかかわらず、実際には思った以上に見えていた。
医者が手に持ったメスなどが、目の奥に入ってくるのが見えるのである。
麻酔は眼球だけ。
まぶたですら麻酔は効いていない。
全身麻酔ではないので、意識もはっきりしている。
音も聞こえるし、自分が今何をされているのか、なんとなくわかる。
今思い出すだけでも気持ち悪い。
途中で麻酔が切れてきたのだが、それでも痛み自体には耐えられた。
今まで自分ではあまり考えることはなかったが、確かに痛みには強くなったかもしれない。
子供の頃は臆病で、痛みに敏感で、自分は痛みに弱いと思っていた。
だから大人になった今でも自分は痛みに弱い人間なんだとずっと思っていたが、この手術の件があって、色々振り返ってみると、確かに自分は痛みに強くなっていると言えるような思い当たることがたくさんあったことに気づいた。
20代の後半ぐらいから、とてつもない吐き気に襲われて意識が朦朧とすることが週に1回ぐらい起こっていた。
病院にもいったが、その時は、感染症だと判断されたが、その後も断続的に10年間ぐらいその症状はあった。
初めの頃は「このまま死んでしまうんだろうな」と思うほどの強い吐き気と意識朦朧の中で死を覚悟していた。
しかし後になってわかったが、実は低血糖症を起こしていたのである。
低血糖症は下手すると死に至る可能性もある。
しかしそんな強烈な吐き気が起こっている中でも耐えられたのは、過酷なトレーニングの痛みを経験してきたからであった。
今はもう低血糖症に対しての対処法が分かっているので、命が危険に晒されるようなことになることはない。
痛みに強いことはとても大きな武器である。
たいてい人は痛みによって冷静な判断ができなくなる。
痛みが気になって集中できなくなるためである。
痛みはとても重要なシグナルであるが、同時にとても厄介なシグナルでもある。
痛みそのものは体の不調を訴えるためのメカニズムであるが、必ずしも不調があるから痛みがあるわけではない。
全くの不調がなくても痛みは発生しうるし、その痛みによって冷静さを失い、間違った判断を下す恐れもある。
現代社会では、痛みが直接命に関わるようなものが原因である可能性は低い。
そして身体的な痛みというのは精神的な痛みとも直結している。
悲しみを感じた時に、脳の中では、体の痛みを感じた時と同じ部位が反応するのである。
脳機能の観点から考えると精神的な痛みと肉体的な痛みはとても似ているのである。
若いうちに体を鍛えて痛みに強くなっておくというのは効果的だ。
痛みというのは慣れてくる。
だからトレーニングで体を痛めつけることで痛みに慣れておくのだ。
生きていく上で痛みは避けられない。
そして痛みは必要な感覚である。
痛みを感じない人間になるのではなく、痛みを恐れない人間になる。
痛みを超えるのである。
運動の効果:
運動をせずに脳を鍛えるのは非効率
若いうちは筋肥大を目指し、中年以降はそれを維持することに目的を変更する
痛みを伴うほどに過酷なトレーニングで筋肉を鍛えることで痛みに慣れる
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