「どの世代のオリンピック代表が最強?」
議論がかわされることも多いこのテーマ。そういった話題の「最強代表」に名を連ねることも多いのが、1988年のソウル・オリンピック(以下ソウル五輪)日本代表です。果たしてどんなメンバーだったのか振り返ってみたいと思います。
当時の日本代表メンバーは?
ソウル五輪はプロの参加が認められていなかったため、社会人そして大学から選抜したメンバー構成となっています。1984年のロサンゼルス・オリンピックで銀メダル獲得に貢献した鈴木義信コーチが監督に就任しています。
監督
- 鈴木義信(東芝)
コーチ
- 川島勝司(ヤマハ)
- 山中正竹(住友金属)
投手
- 潮崎哲也(松下電器→西武)
- 渡辺智男(NTT四国→西武)
- 鈴木哲(熊谷組→西武)
- 菊池聡(東芝)
- 吉田修司(北海道拓殖銀行→巨人)
- 石井丈裕(プリンスホテル→西武)
- 野茂英雄(新日鉄堺→近鉄)
捕手
- 古田敦也(トヨタ自動車→ヤクルト)
- 應武篤良(新日鉄広畑)
内野手
- 西正文(大阪ガス)
- 葛城弘樹(東芝)
- 米崎薫臣(日本生命→近鉄)
- 野村謙二郎(駒澤大→広島)
- 小川博文(プリンスホテル→オリックス)
- 筒井大助(住友金属)
- 大森剛(慶応大→巨人)
外野手
- 中島輝士(プリンスホテル→日本ハム)
- 前田誠(東芝)
- 松本安司(三菱重工名古屋)
- 笘篠賢治(中大→ヤクルト)
名球会入りがなんと3人!
代表メンバー20人中プロ入りしたのは13名と、ロサンゼルスオリンピックの16名にはかないません。しかし、なんと名球会入りが3名も出ているのです。
野茂英雄
- 日本通算:139試合123勝109敗 1051.1回 1204奪三振 防御率3.15(5年)
- メジャー通算:323試合123勝109敗 1976.1回 1918奪三振 防御率4.24(12年)
- 日米通算:462試合201勝155敗 3027.2回 3122奪三振 防御率3.86(17年)
古田敦也
- 2008試合 7141打数2097安打 打率.294 217本塁打 1009打点 70盗塁
野村謙二郎
- 1927試合 7095打数2020安打 打率.285 169本塁打 765打点 250盗塁
マッシー村上氏から途絶えていたメジャーリーグとの架け橋を作った野茂英雄投手。大学・社会人出身としては初の2000本安打達成となった古田敦也選手。そして、トリプルスリー男 野村謙二郎選手。スター選手がセンターラインに揃っているアマチュアチームとなっていました。
名球会にこそ入っていませんが、シンカーの使い手 潮崎哲也投手、早稲田大学の監督になった應武篤良選手、巨人で現役引退後スカウトとして、坂本勇人選手を発掘した大森剛選手など、いたるところで活躍している選手たちが揃っていたことがわかります。
各国の代表選手は?
ソウル五輪のアメリカ代表を見てみるとシカゴ・ホワイトソックスの監督であるロビン・ベンチュラ選手、伝説の隻腕 ジム・アボット投手が名を連ねていました。ベンチュラ選手は自身の成績よりもノーラン・ライアン投手との大乱闘がファンの記憶に残っているかもしれません。
チャイニーズ・タイペイ代表には郭李建夫投手、郭建成投手といった後の日本プロ野球で投げることになる選手たちがいました。
ソウル五輪は残念ながら金メダルは獲得ならず、銀メダルに終わってしまいましたが、後の活躍を見ると、潜在能力は一番高かったのかもしれません。
いいね!して
いち早く記事を読もう!
▼ ▲
G-TIMESベージに[いいね!]しよう!