独特の手腕でファイターズを指揮する栗山監督!その采配に迫る!
- 2016/8/24
- プロ野球
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育成した若手がチームの柱に成長
交流戦明けからの大型連勝などで、6月下旬でも11.5ゲーム差あったゲーム差を縮め、首位ホークスのしっぽをとらえたファイターズ。その勢いの中で随所に栗山監督の采配が光ります。では栗山監督の少し変わった采配とはどんな采配なのか、紹介します。
選手時代:入団テストでヤクルトへ。難病と戦ったプロ生活
栗山監督は創価高校を卒業後、教員をめざし東京学芸大学に入学します。そこで教員免許も取得し、卒業後は教員を目指していましたが、野球への熱が再燃しプロの入団テストを受け、ヤクルトへの入団を決めます。
内野手として入団したもののプロのレベルに愕然とし、猛練習、スイッチヒッターや外野手転向も試み3年目の後半にはセンターとしてレギュラーに定着。しかし、2年目から三半規管の難病である「メニエール病」に苦しみます。
4年目のオフには肉離れも発症。しかし、5年目は規定不足ながら、打率.331。6年目にはセンターでゴールデングラブを獲得するなど、プロとして少しづつ立て直し始めます。
しかし、7年目にはレギュラーを奪われ、さらに右ひじの故障、メニエール病への再発の不安から引退を決意しました。
監督として:他とは違う”栗山采配”
栗山監督の采配は少し他の監督陣とは一線を画しているといえます。少し言い方を変えると「その選手の本当の力を見抜く力」が突出しているといえます。
今回は何人かの選手とのエピソードを紹介します。
ブランドン・レアード
「寿司ポーズ」でおなじみのレアード選手。今ではパ・リーグの本塁打王争いをするなどファイターズに欠かせない選手になりましたが、2015年の前半戦は日本の野球に慣れずに大不調。しかし、栗山監督はシーズン開幕前にレアード選手にこんなことを言ったそうです。
君のアメリカ時代のビデオを見たよ。最初は日本野球に苦労するかもしれないが、必ず活躍できる力を持っている。俺は使い続けるぞ。ようこそファイターズへ。
この言葉通り、どんなに不調でもレアード選手を使い続けた結果、前半の不調が嘘のように夏場以降打棒が爆発。チーム最多の34本塁打を放ちました。