【まとめてみた】え?!あの選手も?!2015年シーズンで引退する主な選手(セリーグ編)
- 2015/10/13
- プロ野球
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一時代が終わりを告げた2015年
この2015年シーズンはかつて一時代を築いた数多くの選手たちが引退を発表し、ユニフォームを脱ぐことになりました。非常に多いのでセ・パと分けて紹介したいと思います!
阪神タイガース
関本賢太郎 選手
大型内野手として期待され1996年のドラフト2位指名で天理高から阪神へ入団。
バントの名手となり、08年6月17日の楽天戦では1試合4連続犠打というプロ野球タイ記録をマークしました。
2005年のリーグ優勝に貢献するなど阪神一筋でプレーし、近年は主に代打の切り札として活躍しました。10月12日のCSファーストステージ第三戦ではサードでスタメン出場し、阪神ファンに最後の雄姿を見せてくれました。
渡辺亮 投手
日本生命から2006年に大学・社会人ドラフト4巡目で入団しました。
入団2年目の07年にプロ初登板を果たし、12年までの6年間で5度も50試合以上に登板するなど、貴重な右のセットアッパーとして、チームに貢献しました。右肩の故障の影響で最近3年は出番が減り、今季は1試合の登板にとどまっていました。
広島東洋カープ
東出輝裕 選手
東出選手は福井・敦賀気比高からドラフト1位で1999年に広島入団しました。
98年の甲子園はいわゆる松坂世代が集結する大会で、東出選手も敦賀気比高校のエースとて出場しました。入団後は走攻守の三拍子そろった二塁手として活躍し、2008、09年に2年連続でベストナインに選ばれました。
13年のキャンプ中に左膝を負傷して手術を受け、同年以降の1軍出場は結局叶いませんでした。今季は2軍野手コーチ補佐も兼任した。ポストは未定ながら、来季からはコーチとして再出発する予定です。
河内貴哉 投手
河内は99年のドラフトで近鉄、中日と3球団の1位指名競合の末、広島が交渉権を獲得して入団しました。
04年には自己最多の8勝を挙げて、オールスターにも出場します。しかし以降は左肩痛など、ケガに泣かされます。08年には肩関節唇および腱板部の修復手術。その後の4年間、戦力外、育成契約などを経て12年に復活を果たしました。13年には開幕から、登板21試合連続無失点など活躍し、存在感を示しました。
中日ドラゴンズ
山本昌 投手
神奈川・日大藤沢高から、83年のドラフト5位で中日に入団。
米国留学を経験した88年8月の広島戦でプロ初勝利を挙げます。その後は93年に最多勝と最優秀防御率、94年に沢村賞に輝くなど、多くのタイトルを獲得しました。
左腕から繰り出すスクリューボールを武器に中日で6度のリーグ優勝に貢献。41歳1カ月だった06年9月16日の阪神戦で史上最年長のノーヒット・ノーランを達成するなど数々の最年長記録も打ち立てました。08年8月4日の巨人戦では、史上24人目となる200勝にも到達しました。通算成績は580試合、219勝165敗、5セーブ、防御率3.45です。
今期は8月に1軍登板を果たすも、故障に泣かされ日本球界のみならず、メジャーでも記録のない50代での勝利投手は達成できず、ついにプロ野球界のレジェンドがついにユニフォームを脱ぐことになりました。
和田一浩 選手
96年ドラフト4位で西武に入団します。
比較的遅咲きとされる30歳レギュラーをつかむと、努力が実を結び05年に33歳で首位打者を獲得します。07年オフにFAで幼少時からの憧れだった中日に移籍し、当時監督だった落合GMの打撃理論を吸収して、さらに技術を磨いていきました。
35歳の07年から4年連続150安打以上を放ち、38歳の10年には自身最多の171安打をマークしてMVPを獲得。今年6月には史上最年長で通算2000本安打を達成。通算成績は1959試合に出場し打率.303 、319本塁打 、1079打点でした。
谷繁元信 選手兼任監督
江の川(現石見智翠館)高から1989年にドラフト1位で大洋(横浜-現DeNA)に入団します。
強肩強打の捕手として1年目から1軍の試合に出場し、98年には横浜の日本一に大きく貢献し、リーグを代表する捕手となりました。
01年オフにFAで中日移籍。07年の日本一と4度のリーグ優勝に貢献しました。13年に当時史上最年長の42歳4カ月で通算2000本安打を達成し、14年から監督兼任選手として出場を続けます。そして今年7月には野村克也氏の記録を破る、3018試合出場のプロ野球記録を樹立しました。
来年以降は専任監督として引き続き中日の采配を振るいます。通算成績は3019試合に出場し打率.240、2107安打、229塁打、1019打点でした。
小笠原道大 選手
千葉・暁星国際高、社会人のNTT関東を経て、ドラフト3位で97年に日本ハムに入団したました。
入団当時は内野手と捕手を兼任するユーティリティープレイヤーという位置づけでしたが、打力を生かすため内野手に専念。02年から2年連続で首位打者となり、06年には本塁打と打点の2冠を獲得し、パ・リーグMVPに選出されました。
07年FAで巨人へ移籍するとこの年も3割30本を達成。前年に続いての2年連続MVPを獲得します。なおセ・パ両リーグでのMVP受賞は江夏豊以来2人目であり、野手としては史上初。さらにリーグを跨いでの2年連続獲得も史上初の受賞でした。また、合計9度の3割30本を記録し、11年5月に通算2000本安打を達成しています。
13年オフに中日に移籍してからは代打の切り札として活躍し、3割前後の打率を記録しました。今後は中日の2軍監督に就任し、若手の育成に励みます。
朝倉健太 投手
地元愛知の東邦高校から99年度ドラフト1位で中日に入団。
4度(02年、06年、07年、09年)の2ケタ勝利をマークするなどチームの中心投手として活躍します。中でも06年にはローテーションの一角としてシーズンを通して活躍。13勝を挙げて優勝に貢献しました。
近年は右ひじの故障などにより思うような球が投げられず、引退を決意しました。
横浜DeNAベイスターズ
高橋尚成 投手
修徳高から駒大―東芝を経て99年ドラフト1位で巨人に入団します。
即戦力左腕として1年目から先発ローテの一角を担い、9勝をマークしました。07年には最優秀防御率(2.75)を獲得するなど、巨人の貴重な左腕として活躍します。
09年オフにFA宣言し、10年2月にメッツとマイナー契約し、開幕メジャー昇格を果たします。その後、メッツ、エンゼルスなど4球団でプレーしますが、渡米2年目以降は、主にリリーフ投手として存在感を発揮しました。
13年オフにDeNAと2年契約し、5年ぶりに日本球界へ復帰しましたが、2年間で勝ち星を挙げることは出来ませんでした。
東野峻 投手
04年ドラフト7巡目で巨人に入団し、先発ローテに定着した10年には自身最多となる13勝をマークし、翌11年には開幕投手も務めました。
11年は不調に陥り、12年オフにトレードでオリックスに移籍しましたが、結局14年に戦力外となり、昨年秋の合同トライアウトを経て、今季からDeNAで復活を目指しました。
しかし今季のDeNAでの登板は、1軍で3試合の登板にとどまり、再度戦力外となってしまいました。今後は裏方として球団を支えていく予定です。
新時代が幕開けする2016年
時代は流れ変わりゆくものですが、それでも輝いた選手たちの勇姿は今も私たちに勇気をくれます!そして去る者あれば来る者ありで、次の選手たちの活躍を応援したいと思います!
皆さんの心に残った引退選手は誰でしたでしょうか??
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