「権藤、権藤、雨、権藤」だけじゃない!侍ジャパン 権藤投手コーチの球歴を追う
- 2016/4/7
- プロ野球
- 「権藤、権藤、雨、権藤」だけじゃない!侍ジャパン 権藤投手コーチの球歴を追う はコメントを受け付けていません
「権藤博」と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?
「権藤、権藤、雨、権藤」と言われた選手時代のこと。1998年にマシンガン打線を武器に横浜ベイスターズを率いて日本一になったこと。侍ジャパンの一員として小久保監督を補佐する投手コーチになったことなど複数あると思います。今回はその球歴を追ってみましょう。
ルーキーでいきなり35勝
ブリヂストンから1961年に中日ドラゴンズに入団するや、いきなり35勝を挙げ最多勝・最優秀防御率・最多奪三振(当時表彰なし)を新人ながら獲得し、新人王・沢村賞も獲得します。
1961年成績
69試合35勝19敗429.1回310奪三振 防御率1.70
まさに圧巻の成績です。429.1投球回は2015年シーズン終了時点でもセリーグ記録となっております。ちなみに2リーグ制以前は朝日軍の林安夫による541.1回というとんでもない数字が残っています。パ・リーグ記録は「神様仏様稲尾様」でお馴染みの稲尾和久が404回となっています。
「権藤、権藤、雨、権藤」と言われるように連投に次ぐ連投が多く投手としては4年しか投げることが出来ず5年目にはサードへ転向しますが1968年に投手へ復帰。しかし、かつての投球はできずこの年限りの引退となりました。
黄金期の横浜ベイスターズを率いた監督時代
1968年限りで選手は引退しますが充電期間を経て中日ドラゴンズ、近鉄バファローズ、ダイエーホークス、横浜ベイスターズと投手コーチを歴任しそのまま横浜で1998年に監督就任の運びとなります。そう、あのマシンガン打線を率いて横浜ベイスターズを38年ぶり優勝に導いたのが権藤監督なのです。賛否両論ありますが、選手との距離を近く持ち自由奔放にプレーさせたり、ミーティングを行わなかったりしたのがよかったのでしょうか。3年間の監督期間で1位、3位、3位と3年連続のAクラスを達成します。
代表でも手腕発揮を期待!侍ジャパン投手コーチ就任
横浜ベイスターズ監督を退任した後現場から離れていましたが2012年に1シーズンだけ中日ドラゴンズ投手コーチに就任し高木監督との高齢コンビで話題を振りまきました。その後、高齢ということもあり現場復帰はないかと思われたいましたが、2016年に入って侍ジャパンの投手コーチに就任します。先日行われたチャイニーズ・タイペイ戦が初仕事でしたが繊細な投手起用で今後の小久保監督の大きな手助けになりそうです。
選手、監督、そしてコーチと様々な場面で活躍できるのはすごい才能です。77歳と高齢ですので体調に気をつけてもらい、2017年のWBCで世界一を奪還するための投手陣を作って欲しいですね!
いいね!して
いち早く記事を読もう!
▼ ▲
G-TIMESベージに[いいね!]しよう!